本日の読書

あたりまえのこと (朝日文庫)「あたりまえのこと(倉橋由美子著,朝日文庫)」 なるほどと思った箇所メモ。
フォークソングの定義について。

昔は大人が聴いたり歌ったりする歌謡曲は,例えば星に波止場に別れに涙に恋に未練が出てくる演歌その他型にはまったもので,一方子供には子供専用の童謡というものがあった。その中間のものは無かったので年頃になると大概英語で歌われるあちらの流行歌を聴くことになる。小説で言えば「罪と罰」とか「狭き門」とかをその年頃に読むようなものである。ところがそのうちにフォークソングなるものが出てきた。これは素人の少年少女や青年がギターを弾いたりしながら自分で作詞作曲した歌を素人風に歌うもので,最初はその年頃の人間の気持や意見を素直に,あるいは稚拙に表したものであったのが少なくとも同じ年頃の人間には受けて,さらにあちらの歌の影響も入って洗練されてくると「ニューミュージック」と(なぜか片仮名で)呼ばれるものになり,若い人間を中心にして聴かれている。これは勿論童謡でもなく演歌に代表される歌謡曲でもない。

ワープロやパソコンで文章を書くことについて。

娯楽小説に分類されるものは,文章よりも中身の面白さが大事で,あまり凝った文章,名文の連続では肩が凝る風に思われています。できるだけ平易で抵抗の無い,安直に読めるものほどいい,というわけです。「宍道湖の夕日」を書いた文章*1のようなものは,高級すぎて難解で,見ただけで「お呼びでない」ということでしょうか。
現在では,注文に応じて二流の中から上程度の文章を大量に生産するのに適した道具がありますから,この道具,つまりワープロやパソコンを使えば,「決まっている」とは言いがたくても,まずは無難な文章が多くの人に書けるようになりました。

○書く人と読む人とのコミュニケーションについて。

カフカのように原稿の焼却を望んで死んだ人間でも,小説を書くためには少なくとも朗読を聴いてくれる数人の友人を必要とした。フランスの実存主義者が「不条理」とか何とか深刻な解釈を付して以来,カフカの小説は難解な小説の代表のように扱われているが,本当は一種のドタバタ喜劇小説なので,カフカの朗読を聴いた友人たちは笑いころげたそうである。公衆がいるところでは物語も小説もその本来の健康な姿を現す。笑いは精神が他人と一緒でいることで健康を保持している証拠である。 
それが一人で密室に閉じこもるとカフカの小説を読んで笑うことはむずかしくなる。

*1:石川淳作「小林如泥」(「諸国畸人伝 (中公文庫)」所収)