本日の読書

さかしま (河出文庫)ユイスマンス澁澤龍彦訳)」ブックオフで発見。ドビュッシーつながりということもあったので読む。延々300頁引き篭もり生活者による独白小説です。語り手のデ・ゼッサント以外に登場人物はいないと言っていいくらいです。このスタイルで300頁も持つというのがものすごいです。ていうか,記載内容が次々連なってて饒舌でさながらカーニバル的様相を呈しているということでは文学としてはむしろ「豊穣」です。フランスの文学伝統のすごさといったらいいのか。どうせ引き篭もりになるならこの小説の語り手デ・ゼッサント君くらいに観念の網をたっぷりと広げることが出来たら,負を集めに集めてむしろ正にひっくり返したとも言え,むしろ偉業なのではないかと思ったりします。
彼の美学は宝石についても,俗っぽいものはよろこばない。堕落したものとしてみなして嫌悪すらする。そして気高く(?)歌いあげる。第4章メモ。

宝石の選択は彼を迷わせた。ダイヤモンドは,あらゆる商人がこれを小指にはめるようになって以来,陳腐きわまる代物になってしまった。東洋のエメラルドやルビーは,焔のような光輝を発し,それほど堕落していないが,しかし,しょっちゅう二色の燈火をつけて走り回っている或る種の乗合馬車の,あの青と赤の眼玉を思い出させて余りあるものがある。トパーズはどうかというに,未加工のものも加工されたものも,非常に安い宝石であって,鏡つき衣装箪笥のなかに宝石箱をしまいこむことのお好きなプチ・ブルジョア連中に愛用されている。それから紫水晶は,教会によって心の安らぎを与える,おごそかな,聖職者の性格を賦与されているものの,安い値段で・・・(略)・・・すっかり堕落してしまった。これらの宝石の中で,ただひとつ,サファイアだけが,産業や金銭上の愚劣さに侵されたことのない輝きを保持している。澄んだ冷たい水の上で燃えるサファイアの閃きは,いわば,その慎みぶかい権高な気品を,あらゆる汚れから守りおおせたのである。・・・(略)・・・実際,これらの宝石はどれひとつとして,デ・ゼッサントを満足させなかった。とにかく,あまりにも俗化されているのであり,あまりにも衆知になっているのである。

120年前の人間の発想なのだが,こと宝石に対する考え方としては,21世紀現代の人間の考えてることとそれほど隔たっていないような気がします。
このような調子で,中世の文学作品や,絵画作品,宗教,花,音楽,そしてフローベールボードレール,ポーとかいうこの作者にとっての「現代文学」について,執拗な考察が繰り広げられていて,これら発想の引き出しの数が多いこと多いこと,読んでて圧倒されました。一日で読了しました。
ドビュッシーのことなんか忘れてしまいました。