つかの間の入院生活

抜釘手術について書きます。ついでにこの入院中に大地震にも見舞われました。
このタグでブログを綴るのもようやく終りが見えてきました、としたいところです。だけど、やれるところまでやります。やはり、これから予想外にも不幸にも足の骨折をしてしまう人のためにも、体験談ブログを少しでも綴っておき、未来の骨折患者様へのご参考にしたい、と思ってます。
2015年3月、左足脛骨の骨折しておよそ一年半経ちました。そしてこの10月19日午後、抜釘手術を受けてきました。
まず、すこしさかのぼりますが、10月19日午前9時、入院にまつわる事務手続き、そして病棟のベッドに寝ころがって、抗生剤の点滴を受けながら、手術の時刻をひたすら待ち続けました。
15時、とうとう手術室からお呼びがかかる。看護師の誘導についていくまま、手術室に入りました。フロア中央の手術台に寝転がって仰向けになる。天井にはぎらぎらとたくさんのランプが輝いている。無数の光源を眺めていると、いよいよ執刀が始まるんだな、やっぱり怖いよな、という緊張が高まります。
麻酔担当医が耳元で言う「横を向いて背中をエビのように反らしてください」腰椎麻酔ですね。1年半前の手術でも受けたことなので、言われたとおりに背中を反らしました。しばらく待っていると、腰のうしろから針でチクっと刺される。痛いけど、1年半前ほどではないな、すこしつねられた程度の痛みでした。どうやら、最初の注射は局所麻酔にすぎなかったみたいで、いったん背骨周りの皮膚をしびれさせて、それから、本番の麻酔薬をまた注射して腰椎の奥深くへ投入しているようでした。つまり2段階でやっていたわけです。どうりで痛みが小さかったのだなと思います(ちなみに、一年半前のプレート埋め込み手術では、めちゃくちゃ痛かったような記憶があります。あれは何だったのだろう? もしかして、局所麻酔なしでいきなり背骨の中に注入してました? 背後でやられたことなのでさっぱりわかりません)
しばらくして麻酔医言う「足がホカホカしてきましたか?」そのとおりなので、「はい」と回答。ホカホカした感覚が、麻酔の感覚であることは、1年半前の手術時とまったく同じです。これで下半身のどこをつねられようと、切られようと痛くないよな。自分でも安心してきました。
それから、今回の抜釘手術では、意外なことにバルーンカテーテル尿道管挿入がありませんでした。あれを男性自身の先っちょから管をぐりぐりと差し込まれている感覚の気持ち悪いこと痛いことをいまでもはっきりと覚えていたので、もうやりたくないな、でも、執刀する上で必要なら覚悟するしかないなと思って覚悟していました。でも、今回の抜釘手術では必要ないようなので、ホッとしました。これは嬉しかったです。
ということでこの態勢で待つこと10分位で、麻酔がすっかり効いてきました。ただ麻痺しているのは下半身だけであって、上半身の意識ははっきりしています。外科医と看護師とのやりとり、メスで肉を切る音すべてはっきりと耳に聞こえてきます。ただ、胸の上の垂れ幕に遮られているので、下半身の様子をうかがい知ることはできません。
外科医さんが道具を両手になにやらがちゃがちゃ動き始めました。すでに皮膚感覚は消えてしまっているので、なにをやられているのかは、わからないわけですが、それでも、足下で外科医さんがなにやら手を動かして、メスで肌をざくざく切って、骨に刺さっているスクリューネジを抜き取って、ひとつひとつトレイのうえにガチャっと落としていく様子は、作業音だけでなんとなく察することができました。そしておしまいに、脛骨の髄を貫いて埋め込んでいたぶっといチタン棒に金具を接続して、それから医療用ハンマーで、バン!バン!と2回叩きました。痛くはないけど、背骨から頭蓋骨にかかてビンビン共鳴してくるのがわかる。ものすごい力だ。外科医言う「抜けました。これで縫合して終了です」
約1時間で手術は終了でした。16時半ころには、ふたたび病棟のベッドにもどされて、麻酔が切れるのをひたすら待つだけになりました。
夕方17時頃には、まず右足の方から麻酔が切れてきて、感覚が復活してきたし、指も関節も動かせるようになってきました。それから18時頃には患部である左足の方も麻酔が切れてきました。予想どおり鈍い鈍い痛みがじわじわとでてきましたね。特にスクリューネジを埋め込んでいたあたりがじんじんと痛かったです。でも、余裕で我慢できるくらいの痛みでした。一年半前の埋め込み手術の痛みを10とすると、今回の痛みは3〜4くらいに過ぎないかなと思います。それでも念のため痛み止めの点滴も追加してもらって、ひと晩やり過ごすことにしました。薬も効き、痛みには悩まされることもなく、22時過ぎにはぐっすりと寝てしまいました。
というわけで、手術翌日20日の朝を迎えました。すでに左足の方は麻酔もすっかり切れてしまっていて、もう自由に動かせます。直観的には、これなら杖なしで歩けそうな手応えすら感じました。
ただ、腕にはまだ点滴の針が刺さったままになっているので、ベッドから離れてあちらこちら動き回るわけにはいきません。やむなくベッドに寝転がったまま時間が経つのを待ってました。
昼前に看護師さんが現れる。「点滴はこれで終了です。今日からは歩行器使って歩いてください」
歩行器というのは、U型の手すりが胸の高さぐらいまであって、ここに両手をついて体重を支えることができるももで、そして手すりを支える支柱の先にはキャスターがついていて、床の上をごろごろ転がして移動するものです。なるほどこれならバランスを崩したとしても、転倒せずに歩けそうだ。
さっそく言われるままに歩行器に両手を乗せて、それを頼りに廊下を移動してみました。余裕で両足で歩けます歩けます。たとえこの歩行器がないとしても、両足であるけそうな手応えも感じました。そういえば、過去に読んでたいろいろな骨折体験談ブログでも、たしかに抜釘手術の翌朝から歩けます、と書いてたのを思い出しました。本当だったのだなと感謝してました。
そして手術翌々日10月21日。痛みの方はすっかり落ち着いてしまっていて、おまけに病院内を自由にぶらぶら散歩できるようになっていました。もう病院内だけでは、もの足りなくなってきました。早く退院したいな退院してしまいたいなという気分ばかりつのってきました。だけど、看護師さんにそんな要望をぶつけてもしょうがないのはわかりきっています。やはり主治医のGOサインが欲しいです。
午後14時過ぎ、入院しているこのタイミングで、いきなり大揺れがきました。地震です。ちょうど病院6階談話室の窓際にて、黙々とキンドルを読んで、時間をつぶしていたところでした。携帯の警告音と揺れとが一緒にきました。初めの小さな揺れがたちまち大きく発展して膨らんでいくような感じ。大地震だなとすぐに感づきました。30秒くらい揺れつづけて、病院内も騒然としていました。しかし、5分くらい経つと「病院は通常どおりです」とのアナウンスが流れてきて、病院内は平静を取り戻してきました。窓から見下ろす米子市街の様子もいつもと同じでした。ただ、携帯でニュースを探ってみると、倉吉市でものすごいことになっていることが刻々と判ってきました。大地震で思わぬ脱線になってしまいました。
夕方、ようやく主治医に呼ばれて、手術痕の様子を確認してもらいました。「(スクリュー)ネジをねじ込んでいた箇所は、もう大丈夫ですね。ただ、膝下の(髄内釘をさしこんでいた)箇所からまだ(膿)汁がでているので、・・・明日また確認してもらって、それでよかったら、退院ですね」
10月22日。すでに痛みの方はまったく感じない。ただ、関節をまげのばしすると、手術痕の箇所がひっぱられるような痛みはありました。10時頃当番医と面談。手術痕の確認。あてていたガーゼをはずして、医療用フィルムを貼ってもらう。これで退院も良ろしいでしょうとの判断が得られました。
ようやく退院です。念のため持ってきた登山用ステッキを突きながら病院を撤収しました次第でした。
まだまだ傷口は糸を縫合したままなので、歩くたびに引っ張られるような感じは残っています。これらが解消されるまで少しずつやっていきたいと思います。週明けからの出勤ができそうでなによりでした。またネタが出てきたら続けてゆきます。では。

今回抜いた金具と術後の足です。金具は長くて、そして太いです。単4電池くらいの太さです。体内で1年半ありがとうございました。