上巻

ようやく読了す。*1 
話が,いろんな方向に「脱線」してくれて,それぞれの章が,宗教学,民俗学及び生物学的論文形式から,戯曲形式,作中作形式等々,それぞれが語り口多様で,一章一章を読むのが骨です。だけど,それぞれがページ数として,短めにまとまっているのが救いです。上巻一冊だけで,54章に分かれています。
しかし,メルヴィル先生って,当時,どういう読者を想定して,このような脱線しまくりな多彩なスタイルで執筆したのだろう,謎です。読者を突き放しているようにしか感じないです。
・・・現在の読者としては,19世紀の海洋観を,積極的に知ってみたいという動機さえあれば,けっこう興味深く読める内容もりだくさんではありますが。そういう意味では,やはり,時代を先取りしすぎた作品だったのでしょうね。作者没後の,1920年代になってようやく再評価が始まったというのも,運命だったのかも。
烏賊は,もとい以下は単なるメモです。
○19世紀でも,このような「自分探し真っ只中」状態な若者が居て,こういうのが船乗りの世界に,うかつにふらふらと迷い込んできたりしていたりしていた,という現実があったのでせうか。

されば,ナンタケットの船主たちよ,この箇所でわたしは心から卿らに忠告したい。不断の緊張を必要とする卿らの漁船の乗組員に,眉の細い目のくぼんだ若者を採用するのは気をつけたまえ。こうした連中は得て時節はずれな瞑想にふけり,頭の中にはバウディッチの航海術の代わりに,プラトンの「パイドン」などを詰め込んでいるものだ。警戒するに越したことはない。鯨を殺すためにはまず見つけねばならぬ。こんな目の落ち込んだ若いプラトン学者など引っ張って,十ぺん世界をめぐっても,一パイントの鯨油も卿らのために加えはしまい。のみならずこの忠告を無用のお喋りだなと思ったら大間違いである。現代においては,浪漫的,憂鬱症的,放心的な若者どもが,世間苦の苦さを厭い,タールと鯨脂の世界に情緒の慰めを求めて,捕鯨船を療養所と化しつつあるからだ。・・・第35章より

○それと,日本に言及されている記述もほんのわずかな箇所ながらあります。死んだ船乗りらの墓碑銘を読むシーン。

神聖なる故 船長イズィケル・ハーディの思い出のために 故人は日本近海において 抹香鯨のため その指揮せる艇の舳に於て殺さる 1833年8月3日 本碑額は 故人の妻により 彼の追慕のために造らる ・・・第7章より

日本で,ホエールウォッチングで知られている海といえば,小笠原諸島が有名です。
・・・ということは,この墓碑に書かれた「日本近海」というのも,もしかしたら,小笠原諸島あたりが,想念にあったりしただろうか,と思ったりします。
それにしても,19世紀の時点で,日本だったらようやく鎖国を解除して明治維新が始まるか始まらないかのころに,アメリカでは既に,大洋を縦横無尽にかけめぐるようなスタイルで,小説を書き上げられていたということには,驚かされます。