本日の読書

片山杜秀の本(2) 音盤博物誌(アルテスパブリッシング)」 各章博識の極みで読みどころ満載ですが,今日読んだところでは,シューベルトとフェルドマンの音楽性が,作曲家本人の強度近視に由来しているのでは,という説が面白かった。遠くが良く見えてないから,近くのものばかり見る,自分の見える手元だけの世界だけにとじこもる,そしてそこで作曲される世界は,同じような主題を長ったらしく継続させ,長大化していくという性質を帯びてくる。しかしながら,そこにこそ音楽として「近代性」があり,だからこそ,20世紀以降になって,むしろ受け入れられやすい音楽をでもある,という文脈だったような気がします。フェルドマンは20世紀の人で「現代音楽」というカテゴリ。微弱な打鍵でひたすらひたすら切れ目無く長大に続くピアノ曲をのこしているとのこと。そしてそれがたいへん「近視眼的な」味わいがあってものすごいらしいとのこと。シューベルトは有名な19世紀の人で「ロマン派」という位置付けだけれども,晩年に書いたピアノソナタとかに,妙に長大でとらえどころのない曲があったりする。それが近視眼的なものらしいとのこと。そういう意味では,シューベルトには「先見性」がある,という位置づけをされてました。ユニークな定義づけです。もちろん,フェルドマンとシューベルトという二人の作曲家を並列して論じたくて,近視眼というエピソードを持ち出してきたということ以上のものではないと思います。ちなみに,この評論を読んで,フェルドマンという作曲家の名を初めて知りました。どんな人だろうと思って,Googleで画像検索してみました。なるほど,たしかに分厚い眼鏡を使用されてました,納得しました。こんど盤を買って聴いてみます。