本日の映画鑑賞

「わが愛の記」1941年東宝。CSから拝受。概要はリンク先にあり。傷痍軍人山田と,看護婦さと子との恋愛及び結婚生活を描いたもの。実話を元に作られたものとのこと。
前線で負傷して下半身付随になった負傷兵山田が,入院先の赤十字病院看護婦さと子と出逢うところから,そのストーリーは始まる。昼下がり,その赤十字病院内の庭にて,山田は,車椅子を押してもらいながら,長々と自分の身の上を話し始める。そしてその車椅子を押しながら,それを黙って神妙に聞きつづける看護婦さと子がいるわけです。
その山田による身の上話は,いわゆる日常会話とは,まるでかけ離れた,おそろしく長い長い分量で重い内容なのだが,それでも,戦時という特殊状況における,ひとつの真実を物語っているようにも思うので,下記にメモしてみる。長いので,”続きを読む”中に封じ込めますが。
いかにも,軍国美談調だといわれれば,そのとおりなのだが,しかし,こういうことが,ごく当然のこととして,一般世間に受容れられてた時代が,わずか半世紀むかしに,あったのであります。隔世の感。

「看護婦さんは,しあわせですなあ。僕の母は,僕がまだ母のおなかの中にいるとき,親爺と死に別れ,女手ひとつで水飲み百姓をしながら,育ててくれました。小学校でさえ,やっとの,貧乏暮らしをしながら,僕を,中学まで,遣ってくれました。」
−−ご兄弟は?
「いません」
−−まあ。・・・
「自分は,中学を終えてから,しばらく,村で,代用教員を勤めていたのですが,小説家になりたい野心で,都会に出て,勉強したいと願ったんです。ところが,母の希望で法律をやることになり,家庭教師の仕事と,母からの仕送りとで,ある,大学に入ったのですが,・・・まもなく,満州事変で,自分も,現役で満州に行きました。満州と,蒙古に三年ほどいましたが,この3年の兵隊生活で,自分は,日本人として,徹底的にたたきなおしてもらいました。国家ということ,人間ということ,じっさい,弾の中にいなくては出来ない人間教育です。ですから,除隊してからは,もう,法律などはやりたくなかったのです。ひさしぶりに会った母の顔を見ると,やっぱり,世間並みに出世して,母を喜ばせてやりたいと思うようになって,また,学校に戻ったのですが,・・・卒業するとまもなく,今度の事変で,応召したんです。そしたら,こんな(不自由な)身体になってしまって,残念で,たまらんのです。じっさい,(敵に)やられたときは,夢にも帰れるとは夢にも思わなかったのです。野戦病院から,大阪の病院へ帰ったとき,生命というものを,しみじみと感じました。・・・母は,大阪の病院へ見舞いにきてくれました。自分の,この姿をみても,涙ひとつこぼさないんです。郷里に近い病院へ移されてからも,母は,一週に二度は必ず見舞いにきてくれました。そして,いろいろと,僕を励ましてくれました。その病院から,また,東京へ転送されることになったのですが,その一月前あたりから,ふっつりと,母は,病院へこなくなったのです。・・・自分は,仕事が忙しいとばかり思っていたのですが,東京へ,行く前に,どうしても,母に,話しておきたいことがあったものですから,ぜひ,来てくれるように,と言ってやったんです。ところが,・・・その返事も来ないんです。東京転送の日は近づいて参りました。とうとう,村役場から電話をかけてもらったんです。・・・すると,村長が”これは,本人に言っていいかわるいかは,わからんが,母は,10日ほど前から,危篤状態だ”と言うんです。・・・」
−−−まあ。・・・
「自分は,院長にお願いして,3人の付き添いをつけていただき,母の見舞いに,やってもらいました。家に行ってみますと,薄暗い家に,母は,青い顔をして,寝ていました。自分は,母と布団を並べて敷いてもらい,母の手を握りながら,いろいろ,母を元気付けるような話をしました。わたしは,自分は,こんな身体になったけれども,だんだんに,よくなるから,そうしたら,二人で,仲良く暮らそう。お母さんには,いままでずいぶんと苦労をかけたけれども,これからは,僕が孝行するから,出来るだけ,母を安心させるように,と話しました。そのときは,黙って,母は,わたしの顔を見守っていました。わたしは,汽車の時間もあるもんですから,村の人たちに母のことをお願いして,また,青年団のひとたちに,身体を両方から支えてもらって,うちから,出ようとしたときなんです。”あ!”という強い声が聞こえたんです。びっくりして振り返って見ますと,いままで寝返りも出来なかった母が,床の中から這い出してきました。帰ろうとするわたしの後姿を,両手をあわせて拝んでいるんです。わたしは,”やめてくれ,やめてください,おかあさん”と泣き叫び,母の背中にすがりつこうとしたんです」
−−−(しくしく泣く声)
「ですが,自分は,母のそのときの姿を思い出すたびに,母というものの強さを感じ,母を,本当にありがたく思います」
−−−すいません,泣いたりなんかして。・・・