熊野大学ノート2

今日は、熊野大学ノートの2番目ということで、1日目のモブさんのご講演時にとったノートを、テキスト起こししてみました。
レコードプレーヤー(VESTAX)とスピーカーとを持ち出してきて、レコードを再生しながら話を進めていきます。講演というよりも、まるでDJのような、自由な形式でした。
お話しながらレコード再生していった曲目も、ノートにメモできていたので、あとでCD選びの参考のために、文字を太くして記載しておきます。ただ、メタルというジャンルはあまり得意ではないので、記載が間違っているかもしれません。
====================
日時:8月7日(金)18:30〜
講師:モブ・ノリオ
演題:核汚染放置戦争準備エンタメ洗脳国家・日本の現状と、己自身を熊野の地から見つめ直す

・・・自分の身の回りのモノを使って、考え方を広めていきたいと思います。
<レコードと再生環境の紹介>
まず、78回転のレコードをかけてみたいと思います。ちなみに、このプレーヤーとスピーカーですが、ソーラー充電した乾電池を使っています。スピーカーは単三電池6本、プレーヤーは単三電池六本ですが、なかなかどうして、レコードを再生していても、バッテリー持ちます。こうしてソーラー充電した電力で、SP盤とLP盤とを聴いていこうと思います。
はじめに、中上家からお借りしてきたエクソダスの1曲ナチュラルミスティーク」をかけます。
(ここで「親爺を殴り殺せ」と板書)
<熊野でのご縁について>
モブ・ノリオともうします。奥泉光さんが来られた年の。1994年にこの熊野大学に聴講生として参加しました。あのときは自動車で吉野の山を越えてきました。ここでいろいろな仲間と知り合ってから、通っていた大学の文学部を卒業し、それから大学院の専攻科に進みましたが、同世代で、大学の外の人との出会いができたんだな、と思います。
ふと、日々病院長の言葉を思い出します。
「熊野には精霊がいます。願い事があるなら、心に描いてください。熊野の精霊は応えてくれます」
ポジティブを良しとする人へのファックな気持ちはありましたが、この言葉を聞いたときは、ふと、受け入れてみようかな、と思ったりもしました。
そうして、この後、上京して、東京で贋学生をして1年くらい過ごしたりもしました。
先月(7月)、ふと東京にでたとき、そのとき知り合った熊野大学の旧い友達ともばったり出会ったりもしました。
さっきかけた中上さん所有のLPナチュラルミスティーク」ですが、おそらく中上さんはこの曲に、「自然(カムイ)」=神をイメージされて聴かれていたのではないかと思います。
福島原発事故以降>
さて、戦後70年を経て、それから福島での原発事故から5年の時間が経ってしまいました。なのに、いまなお、人の手におえないはずの原発を使って、社会を押し進めようとする人がいっぱいいます。自殺行為としか思えません。自然のなかで、めちゃくちゃなことをしています。
SPレコード鑑賞>
僕は、奈良の旧家の育ちですが、そのせいか、実家には古いSP盤がたくさんあります。その中から軍歌「出征兵士を送る歌」みたいな曲を聴いてもらったあと、趣向を変えて、メタルの「MEGADEATH」といった曲目をみなさんに聴いてもらおうと思います。

ところで、(さきほど板書した)「親爺を殴り殺せ」というのは、中上のエッセイの題名です。講談社文芸文庫「鳥のように獣のように」の中に収録されています。和歌山新聞に掲載された脅迫事件を取り扱っています。さすが「十九歳の地図」を書いた中上、さすがだと思います。病院を爆破予告したA少年のことよりも、周りの病院や父親のことを批判している。病院やデパートは予告にビビってノセられているだけでは? それよりも彼の親爺はいったい何をしていたのか? と書いています。
それでは、まず「軍歌」をかけてみます。キングレコード「出征兵士を送る歌」です。歌詞は当時懸賞で募ったもので、作詞者は、朝鮮半島出身の方で、戦後は北朝鮮に移住したと言われています。
今時の右翼の街宣でも流さないような歌詞ですね。「大君に召されたる」ですよ。何か暗いものを感じます。
次は「大詔奉戴の歌」をかけます。藤山一郎歌唱です。「命も家も何のその〜」という歌詞がすごいですね。ちなみに裏面は海ゆかばこれも歌詞が冒頭から「海ゆかば水浸くかばね〜」と死体のことばかりです。
次はNHK[勝利の記録マライ戦線シンガポール総攻撃」をかけます。戦闘の状況を音にして記録したものですね。
次は「君は満州をかけます。冒頭から「血の涙〜」とあるし、おしまいの箇所はハミングを延々と流しています。異様だと思います。
僕は奈良の旧家の育ちなので、こういうSP盤がたくさん残っているわけですが、じつはこれまで蓄音機が壊れていて、聴く手段がなかったのです。
祖父は、結核にやられていて、結局、戦争にはいかなかった経緯があるのですが、ただ、戦時中は「隣組」という仕組みがあって、お互いを監視しあうシステムがありましたが、そのシステムを守るために、地主という立場から、こういう軍歌のレコードを率先して買っていたのかもしれません。あるいは、病気ゆえに戦争にいけないことを恥ずかしいと思い、その代償として軍歌のレコードを買っていたのかもしれません。
次は「堆肥増産の歌」「積肥音頭」をかけます。以上でSP盤については終了とします。
<一人称を乗っ取られること>
これらの戦前の曲を聴いていて感じるのは、一人称を集団に落とし込まれて、本当の声が先取られ、捏造されてしまう。これが答えと言わんばかりに一人称を乗っ取られてしまうことにあります。
そういう時代の音楽を聴いてもらったあと、これからこういうのをみなさんに聴いてもらいます。どう聴こえてきますか。
<アジーテーションとしての音楽の鑑賞>
それでは、シチズンゾンビの「Pascivication Program」を聴いてもらいます。受け身にさせられるメディアのプログラムを批判している内容です。およそ軍歌とはほど遠い、なにか激しい衝動をぶちまけたような内容ですね。社会の状況が悪くなりつつあり、空気や雰囲気は情報によって作り出される。そして何もいえないような空気ができてしまいます。そんな空気に対して拮抗する、アジテートする音楽があるんだ、ということで、こういうレコードを持ってきましたわけです。
次はハードコアパンクバンドであるフラムテッドの「Nuclear Genoside」を聴いてもらいます。これは核による世界の絶滅を表現した曲です。
次はメタリカによる「Fight fire with fire」をかけます。これも核による世界の絶滅を歌ったものです。
次はガリクレイルによる「Rumours」をかけます。意外に聴きやすいメロディラインでできていて、それでいて、戦争と”噂”によって世相が作られる状況について、アジテートしていることがわかるのではと思います。
最後に、このごろは小説が進まないので、その代わりに「宅録」を始めました。はじめは4トラックのカセットで録音したものですが、それをLPレコードとして1枚だけカッティングしたものです。中之島原発を〜なぜ作らない」と歌っています。
<おしまいのことば>
もし、この先、大噴火により、原発が被害を受けたら、日本の南半分は壊滅的な被害を受けることでしょう。そして東京にも放射性の死の灰がたくさん降ることでしょう。そんな状況下で、私たちは生きています。がんばっていきましょう。ご静聴ありがとうございました。
おしまいに三波春夫「世界平和音頭」を流します。
=================