ようやく半分

「街はふるさと」なんとか半分読み進む。中途で記代子が失踪してしまい、それを放二がさまざまななつてを頼りに東京都内を探し求めるところです。このあたり、ストーリーに緊張感がみなぎってきて、興味深く読み進めることでできるようです。
それにしても、安吾さん自身もたどったと思われる地名がそこかしこに出てきますね。銀座のとあるバーとか、京都の町の印象とか、あと玉川上水とかが、何気にさらりと書かれてあったりするので、まるで作者自身が辿ってきた風景を思い出しながら書き進めているような感じがします。
それから、話が後半になってくると、安吾さんが、放二というキャラクターを借りて、自身の世界観を率直に語らせている箇所が多くなってきているようです。
たとえば、こんな部分なんか安吾らしいです。仏教の他力本願にも通じそうです。

人の意志というものは、不変でもなく、性格的なものでもない。自分の悪意や善意に応じて、相手の覚悟もネジ曲るものだ。人をとやかく思うよりも、結局、大切なのは、自分自身の善意だけだ、と放二は思った。そして、人間というものは、所詮、他人の心をどうしうるものでもない。自分にできることは、自分の心だけであり、自分の善意を心棒として、それに全的に頼る以外に法はないと考えた。

これもどこかのエッセイで読んだような切り口かなと思います。人間の本質に虎視眈々と迫ろうとしているそんな文体です。

戦争が人間感覚を麻痺させた詐術なのだが、うっかりすると、当人までそうとは気づかず、十年も廿年も前から自家用高級車をのりまわしていたと思いこんでいるような詐術にかかっているのじゃないかと放二は思った。常の世の成金の思いあがりとは違う。戦争という魔物のはたらいた詐術であり、時間の感覚の奇怪な喪失なのである。

ただ、エッセイとして書かれたものとは違って、さらりと淡白に主張を弱めて書き流している感じです。読んでいるほうとしても、ストーリーのほうに気がとられるあまりに、こういった箴言には気がつかないで読み流してしまいそうになります。
さて、あと残り半分弱です。どんどん読み進めて行きましょう。
細切れ時間を使って少しづつ拾い読みしてても、いい感じに読めます。もともと新聞小説として書かれただけあって、その辺はよく神経を使って書いてあるのかもです。