昨日は散策に出かけたものの

熱病に当てられて中途断念しました。2日朝5時自宅出発して新白河駅から鈍行で上京してました。9時30分に上野に到着しました。東京都美術館で「フェルメール展」を開催していたので,思わず立寄ってみました。初日だけあってものすごい人ごみで作品ひとつ見るだけで20分くらいかかりました。絵が見事すぎて見る人も固まってしまいます。フェルメールの作品のように固まってしまいます。それでもがんばって全展示品見てきました。9時30分から開始して,展示場を離脱したのは,12時30分でした! 3時間かかりました。
フェルメールは残存作品が少ないので画集等でも有る程度堪能できるとしても,ただ「生で作品と対峙できた」喜びは格別です。17世紀に絵筆が振り下ろされたキャンバス上のでこぼこと直に接することが出来たこの感慨は一生ものです。
それと,フェルメールと同時代画家との作品も併せて展示していたのが興味深かったです。彼と同時代の画家の傾向を知る機会ってあまりありません。この展示では,ほぼ同時代のヤン・ファン・デル・ヘイデン,ヘラルト・ハウクヘースト,カレル・ファブリティウス,ピーテル・デ・ホーホ・・・とか,わたしも初めて聞くような名前の画家の作品をたくさん堪能することが出来ました。17世紀のデルフトの画家ということで,フェルメールの作品と同様で写真以上に緻密なタッチで超リアルにデルフトの風景や人物を描いています。ああいう超リアルな画法はフェルメールだけではなくて,同時代の画家も一生懸命取り組んでいましたわけで,フェルメールという画家もその中の一人だということが体感できるように構成されています。また,当時はカメラオブスクラという道具を使って,外界の世界を緻密に描くことが盛んだったとのことです。理論で緻密に裏付けされた絵画術が発展していた,ということ,そこのところが西洋画法のすごさかなと思います。
同時代の画家作品で気になったのは,カレル・ファブリティウスという人のです。なんでもデルフトの火薬爆発事故に巻き込まれてしまい,32歳でなくなってしまったそうです。それだけに作品は少ないのですが,残された肖像写真がたいへんリアルであること(ヘルメットの男),そして寓意の含ませ方が巧みであること(歩哨)が,すごいなと思いました。
絵画作品そのものではないのですが,当時の絵画作品(ヤン・ファン・デル・ヘイデン;アウデ・デルフト運河と旧教会の眺望)と,デルフトの現在の写真とを,並列して展示していたのは面白かったです。並木の高さは現在のほうが鬱蒼としていること,そして当時石畳だった道路はいまでは舗装されてしまって日本車で埋め尽くされていること等が異なっていましたが,旧教会の建築そのものは当時と変わっていないということに,なんとも不思議な感動をおぼえました。
あと,写真よりも絵画のほうが,世界を緻密に描ききることが出来てるように思います。写真だと太陽光が当たらない部分はうすっ暗くなってしまいますが,絵画の場合は画家の眼に映るものはすべて描ききることができるわけです。その上で,光線の加減を調整したり,構図を考えたりするから,残された絵画は,見ていて見事なんだと思います。
・・・などといろいろ思いを馳せながら,フェルメール展を鑑賞してました。
ただ,展示をおおよそ見終えるころになって,軽く頭痛が始まってきました。
いやな予感がしましたが,その足で,ついでに三ノ輪の浄閑寺に立寄って,荷風の碑と,吉原遊女供養塔と,山谷居住者供養ひまわり地蔵を拝してきました*1。一度訪問してみたかった場所です。境内はところ狭しと墓石が陳列されていて,ここで突然地震に見舞われたらたいへんなことになると思いましたが,遊女供養塔はかなり大きいので,すぐにわかりました。その通路を隔ててすぐはす向かいに荷風の碑がありました。おたがい通路を隔てて設置しているのが,時代を隔てた魂同士の,心遣いなのかなと思いました。それにしてもここでどれほど悲劇的で濃密な時間が流れたのだろうかと思うと,その厳粛な空気に言葉を失いました。御霊に改めて敬意を表して,境内を去ることにしました。
ふと気になったのは,一般人の墓石を見渡していると,あちこちにこのような張り紙が貼られていることです。「親族の方は一年以内に申し出てください。申し出が無い場合は,当寺院にて改葬します」つまり,申し出が無い場合は,無縁仏さまとして改葬し,墓石はどけてしまうという意味ではないかと察せられます。言われてみれば,この境内,墓石があまりに多くて,密集していて,新たに墓石を置くスペースがほとんど無い状態です。檀家が断絶して香華を手向ける人が絶えてしまった場合は,やむなくこうして無縁仏として弔って,そして旧墓石を外して,新たなスペースを設ける,ということで対処せざるを得ないのかなと思います。墓石というのもかりそめのものでしかないわけで,世の無常を深く感じてきました。
思いは,ますます厳粛になりましたが,この浄閑寺を退して,そして三ノ輪から地下鉄に乗って,また都心に戻ってきたところで,頭痛がますます激しくなってきました。
茶店に潜り込んで,一休みしたのですが,どうも芳しくないので,ここで帰宅を決意しました。17時になったら銀座のルパンを再訪しようと思っていたのですが,残念です。
15時20分の新幹線で一気に白河まで北上して,自宅で就寝しました。夏風邪気をつけましょう。