日録

晴天。日曜日はドライブと言うことで、これまでなぜか足を踏み入れたことの無かった山梨県に出かけてました。
山中湖畔の三島由紀夫記念館と徳富蘇峰記念館とをざっと眺めて、むかしの人の足跡を、漫然とたどったりしてました。
三島さんの記念館は、2階建てのうち1階がいわゆる展示室で、初版本、幼少時の日記やら若き日の原稿やら、交友関係を示す図とか、復元した書斎とかいろいろ展示してました。手も触れることもできず、写真も撮ることもできずで、まあ、メモをとるくらいはできたかもしれませんが、それすらしてないので、ただ、目で展示物を追っただけのような感じでした。それでも、馬込の邸宅の復元書斎みてると、無骨すぎる事務机が、文学らしさが全くなく、不思議な感じがしました。ちなみに、2階は資料室で一般人には開放していませんでした。たぶん、身分と閲覧目的とを事前に表明しないと入れないのだろうと思います。
徳富さんの記念館は、どうだったかというと、・・・そもそも徳富さんには関心がなかったので、どうのこうの書くことは思いつきません。ただ、年譜を見ていて。その生きた時間枠が長いことにびっくりしました。1864年にお生まれで、1957年にお亡くなりで、ものすごい長寿ですね。明治維新と旧帝国憲法の発布、そして敗戦と新憲法の発布。そして60年代を目前にしてお亡くなりのようなので、世相のうつりかわりをすべて全身に受け止めて、言葉をつづられてたのだろうなと思います。そのうち、図書館でそれぞれ気になる時代の言葉を拾い読みしてみたいものだなと思ったりもしました。
まあ、はじめての山梨県富士五湖周りをちょろっと回っただけで、それほど大きな発見はありませんでした。東京が近いこともあるので、週末観光地として俗化しつくしてしまったような印象も感じます。だけど、富士山の頂上がうっすら冠雪していたのは、なかなかきれいでした。
あと、正午過ぎころ、鳴沢の道の駅周りが、どういうわけか停電していたようで、道の駅の自動販売機は使えなかったし、信号も点灯しなかったしで、思わぬ渋滞に巻き込まれたりもしました。何で停電したのかはけっきょくわかりませんでした。
ということで、だらだらして物見遊山な日曜日でしたが、とりあえず、山梨県に踏み込めたということで、ログとします。
ということで月曜日を迎え撃っていきます。おやすみなさいませ。