昨日は忌のまえに

世田谷文学館を拝してました。
世田谷って,安吾関係では,「風と私と二十の私と*1」で描かれている,代用教員時代としての足跡が残っている場所なのですね。当時の世田谷は水田や野良がどこまでも広がる田園地帯だったみたい。いまのような住宅ぎっしり埋め尽くされている状態からはとても想像できません。20歳のころの安吾の写真も見てきました。子供たちを連れて,相模の海岸まで遠足に行ったときの整列写真でした。いちばん右に当時の安吾が写ってました。顔の上半分は,深々と被った鳥打帽と,ふちなし眼鏡でカバーされてますが,帽子と眼鏡の間から特徴のある太い眉毛が覗いて見えるので,明らかに本人だということがわかりました。映像資料も拝見。当時の安吾先生から学んだ人たちによる証言が記録されてました。安吾本人がスポーツマンだったこともあってか,体育の授業でかなり本領をのびのび発揮されていたもようです。
あと,江戸川乱歩撮影のフィルムによる,諏訪で療養中の横溝正史さんの動く姿も拝見。療養中とはいえ,かなり元気そうな横溝さんの姿を拝めます。当時「死病」としての肺病に悩まされているとはとても思えないくらい,屈託がない様子で。だけど,それが当時の死生観の一部を物語っているかのようで,貴重な資料なのではないかと思ったりします。むしろ,死が「遠ざけようがないもの」だったからこそ,逆に屈託無く受け入れられる時代でもあったのかなともふと思いついたりしました。
あと,当日のメインだった,特設展の方で,永井荷風のシングルライフぶりにテーマを絞り込んだ展示がありました。これは資料がめちゃくちゃ豊富で,すごい興味深かったです。荷風といえば,作品で扱う素材は江戸趣味で懐古的で,そして生きるスタイルと文章のスタイルはごちごちに保守的に見えるけれども,それはうわべだけで,じつは,オペラや,映画,歌謡曲といった当時最先端の娯楽が大好きで,そして誰よりも軟派で発想が柔軟だったりして,また理財に長けた計算高い実務家としての顔をも併せ持っていて,そして猥雑な文章表現にも長けていて,そういったそれらパラドキシカルでいかにも混ざり合いにくそうなものが,荷風の人格の中ではスマートさを保ちつつ整然と統一されていて,それがたいへんおもしろいと思います。つっこんで知るほどに,存在自体がアートのような人です。
展示ですから,荷風散人の日記の実物はもちろん,着用したオーバーや帽子の実物も観ることが出来ます。トレードマークの丸眼鏡もありました。それにしても,なんであれ,物故者の遺品のうちで「眼鏡」というのは,個人的には,妙に気になります。実物を見ると思わず緊張します。その魂を覆っていた面貌について,いちばんよく物語る物件だからでしょうか。
ちなみに、この荷風展は、持田叙子さんの著作「朝寝の荷風」等がベースになってます。事前に読んで予習してから訪問するのも、乙ではないかとと思います。