桐生ログ

すでに先週のこと。日時:平成20年2月29日(金)/場所:あーとほーる鉾座(桐生本町4丁目)
個人的に,桐生のこの珍しいタイプのホール*1を,生で見たかったということもあるし,また,なによりもサティのピアノ曲を聴きたいということもありました。
当日,この会場に集った人数は,優に100名以上は集っていたかもしれません。その大半は地元桐生と周辺の街の方ばかりで,あと,東京,新潟といった安吾さんに縁のある地から来られたのが10名から20名程度かな,という感じでした。ちなみに,福島県から駆けつけたのはわたし1名だけでしたw 
18時30分を少し過ぎたところで開始でした。最初に主宰奈良さんのスピーチから始まりました。まず,このホールは明治の初め頃に作られたもので,もちろん安吾夫妻も祭りの日にごらんになられたこともある実物でもあるとのこと。そして,この桐生の「安吾を語る会」というのは,「最晩年に安吾が住んだこの桐生で,いま,何か安吾に因んだことは出来ないだろうか」ということで,平成2年に三千代さんと相談することから始まったものであるとのこと。そして,桐生としてのオリジナリティは何か,ということで考え続けていたら,安吾がヒョッコリ引っ越してきた2月29日という閏日が良いのではないかということで落ち着いたということでした。
話を聞いていて,これは,すごいことだなと思いました。このことは何を意味するかというと,たとえば思うに東京の安吾忌というのは,要するに,安吾が亡くなった次の年あたりから,やはり,安吾という強烈なインパクトを持った個性を偲ぼう,ということで,当時の乗りの良い友人たちが寄って集って半ば自然発生的に始まったことだとは思うのだけれども*2,ところが,この桐生のケースは,時代が平成に入ってから半ば後発的に立ち上がってきたものなのですよね。こういうのは,ただ「こんなイベントがあったらいいな」と思うだけでは実行は出来ないわけで,まず,構想をしっかり固めて,それから時間をかけて周りに理解してもらわなくては,始まらないだろうし,場合によっては自腹を切る必要もあったりしたのではないか,そんな気がします。どういう状況で三千代さんとも話を進めていったのだろうか。ふと気になりました。なみなみならない努力に対して頭下がります。
個人的にふと思ったことが長くなってしまった,まずそれは別にして(おい),この奈良さんのスピーチが終わった後は,東京安吾忌でもおなじみの綱男さんによるひょうひょうとした挨拶とスピーチがはじまり,会場はいよいよ盛り上がってきました。
いよいよプログラム開始。第一部。千賀ゆう子さん*3による朗読。しかもジャズピアニスト板倉克行さん*4の伴奏つきという,コラボレーションスタイルをとったものでした。サティやバッハから引用した軽妙な伴奏が主でしたが,時折,朗読される文面が不穏な戦時中のことに言及したりすると,ピアノの方もメロディが猛々しく鳴り始めたりするという,緩急自在な内容でした。ちなみに,読まれた作品は桐生時代に執筆されたもので,「明日は天気になれ」所収の「ゴルフをしなかった話」「空飛ぶ円盤」「日本の便所」「桜の花ざかり」「さようなら」でした。
ひきつづいて,板倉さんによるソロ。歌謡曲,サティとバッハを自由自在に取り混ぜた見事なジャズピアノで,第2部を〆ました。
それから約10分程度の休憩時間を経て,第二部開始。ようやく会場に駆けつけられた手塚眞さんのスピーチから始まって,それからプログラムどおり,下山静香さん*5のピアノ演奏でした。いきなり昭和20年代のヒット曲「東京キッド」「リンゴの唄」から始めて,それからサティ作曲「グノシェンヌ1番」等を披露。最後には,シャンソン「ジュ・トゥ・ブ(おまえが欲しい)」という内容で,クラシックピアノという枠から離れて自由自在に遊んでくれました。
ふと感じたのだが,サティの曲って,立派なでかいホールでやるよりも,この「鉾座」のようなこじんまりとしたホールでやるのがけっこうしっくり合うような感がしました。サティのちょっとひねくれた表題と曲想に対して,クスクスと笑みを浮かべつつ耳を傾けて楽しむ,こうなると聴く人を選びますわけで,大ホールで大勢の客を相手にするよりも,こじんまりとした会場でやった方が良い感じなのかなと思ったりしましたわけです。
以上で第二部終了。賞味だいたい2時間くらい。
21時を過ぎてからは,「鉾座」はす向かいのすし屋「ジパング」にて懇親会でした。ここでは存分に呑みました。はっきり言って,ここは東京安吾忌のノリです。とにかく飲んで飲んで歓談して,その合間合間に,関係者が楽しくスピーチをして場をつないでいくというものです。
かなり飲んだので内容は覚えてませんが,本日の主役,綱男さんはもちろん,手塚さん,千賀さん,下山さん,NHK新潟アナウンサー荒木さん,安吾資料室岩田さん,・・・あれ? 東京安吾忌でも見たことがある顔ぶれが多かったような気がします。新潟松之山からも高橋さんもお見えでした。こちらでも安吾の甥村山氏が亡くなられたことの報告をされました。
なんと,わたしもスピーチしました。遠方福島県から来られたということで,何かスピーチをしろということでした。あまりにも唐突だったので,頭の中真っ白,「ただ,安吾忌でお酒を飲むのが大好きで,東京の安吾忌にはいつも遊びに行ってます」という内容だけ叫んで勢いだけで簡単に済ませました。錚々たるメンバーが揃っている中で,低俗なマネをしてしまって恐縮です。もうちょっと余裕があったら,この会をほとんどゼロから立ち上げられたであろう,奈良さんに対して,しっかりと敬意を表すべきでした。機転を利かせて,それをぱっと言葉に言い表せなくてすみませんでした。だからここで感謝の思いを込めて書きます。
楽しい時間はあっというまに過ぎていき,時計はすでに23時に近付こうとしてました。完全に酔っ払ってきたので,わたしはこの2次会でホテルへ去りました。3次会もかなり盛り上がっていたみたいです。
ありがとうございました。コアな盛り上がりも感じさせてくれる,なかなか濃厚なイベントでした。ログ以上。