本日の読書

カラー版 ドリアン―果物の王 (中公新書)「ドリアン-果物の王(塚谷裕一著中公新書)」東南アジア旅行したくなってきました。ドリアンは実は臭くなくて,ほんまもんはすごい良い匂いな果物であるとのこと。戦前日本の果物流通事情についておもしろく解説してくれてることも興味深い。
(11月30日付追記ていうか,この本のユニークな点というのは,戦前日本と戦後日本の「果物流通事情」と「味覚史」を紹介することで,戦後日本が,アメリカに占領され統治されることで,おのずと心の中に封殺されてしまったアジアへの記憶に,光を投げかけていること。
戦前日本というのは,要するに,海を隔てたすぐ隣の,東南アジア方面に勢力を伸ばすことで,そこからさまざまな物資を得て,そして独自のモダンな文化を,自らの手で築き上げてきた時代でも,ありますよね。
そういった戦前日本国内に入ってきていた「果物」いうのは,やはり東南アジアからのものでした。とくに,バナナなんかは,一般大衆のレベルまですでに浸透していたと言われています。しかも,日本人が自らの意思で勝ち得た物資なものだから,そこに注ぎ込む情熱も違ってきます。当時のバナナ研究というのは,現地農園とれたてのバナナの味を,いかにして,日本国内でも再現するか,その方法論について各品種別にいたるまで細かく組み立てられていたらしいです。いま,日本に入ってきているバナナというのは,輸入輸出用として栽培された,画一的な品種しか与えられてないのが実情だそうで,ほんもののバナナは日本国内には入ってきていないらしいです。
そして,そういう戦前日本においては,果物の味といえば,「濃厚」というのが主流だったそうです。バナナはもちろん,マンゴー,アボガド,そして,ドリアン,これらの味覚は,こってりとした濃厚な味わいのものです。
しかし,それが敗戦後,アメリカに統治されるようになると,東南アジアからの物資は断たれてしまって,一転して,アメリカ発の物資が,日本国内で供給されるようになってきます。グレープフルーツ,オレンジとかいった「柑橘類」が主流になってくるわけです。そうなると,戦後日本にとって,果物の風味といえば,「酸味」が主流になります。そして,これが,日本人としても,別の意味で「良いもの」だったので,国内で普及しました。こういう戦後という時間の中で,東南アジアについての記憶は,次第に封殺されてしまいました。ただ,唯一の例外は,バナナでした。というのも,バナナはフィリピンの産物でもあって,そしてそのフィリピンはアメリカの勢力圏です。アメリカがそれに目をつけて,日本への物資として供給しました。だから,バナナだけは,戦後いちはやく日本人の記憶に蘇ってきた,東南アジア発の果物だったというわけです。
というのも,いまの日本国内って,それなりに収入さえあれば,東南アジアの物資はけっこう簡単に手に入るわけです。また,国内旅行するよりも安上がりだから,ベトナムやタイに遊びに行く人なんか,毎年わんさかいます。要するに,経済的には,戦前日本をはるかに上回るだけの,好条件が,そろっているにも関わらず,東南アジアに対する好奇心は,戦後長びいた風潮を引きずっていて,まだまだ封殺されているものが多いのです。戦前日本の,東南アジアへの情熱はそうではなかった,もっといろんなことを知りたいもっと知りたいという楽しい好奇心にあふれていたわけです。
それに対して,戦後の日本は,アメリカから「与えられた」モノが多くて,そしてそれが,また「良いもの」だったので,それに甘んじてしまって,自らの好奇心でもって,世の中を切り開こうという情熱が削がれてしまった。このことが問題というわけです。
だから,戦前モダニズムを知りたい,という好奇心は,単なる懐古趣味ではなくて,現代を知りたいという好奇心にも繋がります。戦後60年間,日本人が記憶の中で封殺してしまっていたものを探り当て,これまでぽっかり抜け落ちてしまっていた好奇心をうめ合わせるきっかけとしての作業です。戦後半世紀を経て,これが,ようやく可能になってきましたというわけ。
以上,要約。
つまり,この本は,果物の王様ドリアンについてのガイド本でありながら,かつ戦前日本の「おいしいところ」を,もっと知りたくなってくるという不思議な著作なんです。自然科学からのアプローチだからこそ,こういう自由な発想が生まれるのでしょうか。たいしたものです。