「瓦礫の中」

当時の海軍のことを考えているうちになぜかふと作家吉田健一のことに想念が及んでました。この人,戦時中は海軍に籍を置いていたとのことで,そのことで,後になにかのエッセイ*1にて,陸軍とちがって海軍というのは,食料がいつでもたくさんあって,日本国内がたいへんな状態だったにも関わらず,海軍にいる限りはひもじい思いをしたことが全く無かった,という当時の多勢とはかけはなれていたであろう回想があって,読んでてそれが小可笑しかったことをおぼえています。
そういえば,吉田健一というと,「瓦礫の中」(中公文庫)が,いまだに探求書です。え? あの作品なら,ハードカバーの初版とか,「吉田健一集成」とかで読めるから,オークションで落とせば,と言われそうですが,いえいえ,文庫本が欲しいのです。これがなかなか遭遇できないでいます。
というのも私見では,吉田健一は,文庫本の体裁が好きなのです。かばんの中にそっと入れておいて,不意の待ち時間に無聊になりし折に取り出して“漫然と”読んで楽しむのがぴたりと来る,そんな作家だと思ってます。良い意味で“中身の無い”作家です。とくに食味エッセイの類とかはそうです。だから,話の構成とかいったのにはこだわらないで漫然と読むのが正しい。そして読んだ片っ端から忘れてしまってよろしい。*2ただ,読書の快感と,食べる快感と,呑む快感におけるまさにあふれんばかりの素材の量と,その目くるめくように転変自在に撃ち出して来る発想の妙が秀逸で,あのだらだらとした長いセンテンスにリズムを与えてくれて,ぐいぐい飽きさせずにどこまでも読ませてくれる。たとえていえば,すぐれた解釈で聞かせてくれる,さながら,音楽のような文章をたくさん残してくれた作家だと思っています。それで一時期かなりハマって読んでました(あまり頭の中には残らないのですが。^^;)
文庫はけっこう刊行されており,思い出すままに綴ると,中公文庫刊「書架記」「東京の昔*3」「怪奇な話*4」「舌鼓ところどころ」「私の食物誌」,講談社文芸文庫刊「絵空ごと*5」「金沢」「時間」「英語と英国と英国人と」,ちくま文庫刊「私の古生物誌」,集英社文庫刊「本当のような話」といったところでしょうか。
とくに中公文庫のラインナップが硬軟とりまぜたちょうどいい塩梅なので全巻集めたいと思って年来折に触れて探し回っています。というわけであとは「瓦礫の中」を残すのみ。古本屋を覗くときにはいつも“よ”の棚をチェックしてしまうのでありました。もちろんどなたか譲ってくれるようでしたらよろこんで頂戴しますです。連絡は右記のメールフォームから是非。^^;

*1:多分,「乞食王子」

*2:いささか論旨が乱暴で文学ファンに怒られそうだけど,おねがい,許してください。これはsaitohswebpageというあたまの悪い一個人の現象に過ぎませんという認識でやってますんで

*3:戦前東京を回想してるような作品。

*4:著者最晩年に刊行された幽霊話を集めた短編集。まさに著者独特の長いセンテンスぶり全開でファンには楽しめるが,入門用としてはきつそう。

*5:これに併載されている“百鬼の会”は秀逸。とある居酒屋で気持ちよく呑んでいたら,おばけ(百鬼)がにゅっと現れて,それで気持ち良い酔いも醒めちゃって一目散逃走,命からがら逃げのびるという単純な話なのだが,これ,語り口の妙に騙されました。これは著者独特のセンテンスも過度に長くならず,読みやすい。吉田健一入門としてかなりおすすめ。