熊野大学ノート(8月8日〜10日)


熊野大学ノート〜あらまし〜>
8月8日から8月10日の3日間、和歌山県新宮市にて、熊野セミナーを楽しんできました。もう20年以上前に亡くなられた作家中上健次さんご主宰のセミナーです。
台風がくることは事前にうすうすと予測はしていましたが、天候が崩れるからといって、このようにいろんな関係者が関わっているセミナーの開催日が、軽いフットワークでひょいひょい変更してくれるはずはありえないので、予定どおり、名古屋駅から特急南紀に乗って、紀勢本線を南下すること約3時間、雲行きが着実に怪しくなり、雨粒がどんどん大きくなってきたなか、新宮駅に到着したのは、14時頃でした。
駅前の観光案内所で今年のセミナーの受付があるので、自分も含めて、本日の聴講生のみなさんも着々と受付をすませてゆき、名札を受け取ります。14時半、全員でバスに乗って、新宮イオンすぐそばの墓地に移動です。本日のご本尊(?)の中上健次さんのお墓にお線香をあげます。こうして、中上というキーワードで全国から集った聴講生約60名が、中上の墓前に並ぶ様子は、それだけでレアで得難い光景で、なんとも形容しがたく、感慨深いものがございます。
それから、またバスにのって、新宮市市民文化会館に行き、予定どおりに大林宣彦監督の講演を聞き、そして佐藤春夫原作「わんぱく時代*1」を下地とした映画「野ゆき山ゆき海辺ゆき*2」をステージの大きなスクリーンで鑑賞しました。
大林監督の講演は、佐藤春夫「(小説とは)根も葉もある嘘八百」という名言を引用しながら、虚構のおもしろさと、虚構であるからこそ、ノンフィクション以上にメッセージを力強く発揮できることを、あたたかい口調でいろいろお話くださいました。これについては、8月10日付の熊野新聞の記事が的確に要約しているので、以下、一部分を引用します。

「頑固にあまのじゃくに古典的な形で語るところに佐藤(春夫)さんの毅然とした詩人の魂がある。私も頑固に古い手法で映画を作っている」
「(黒澤さんが言った)俺の映画の力で世界を平和にしてみせるよ。映画、芸術にはそんな力がちゃんとある」
黒澤明の続きを若い人にやって欲しい。同時に佐藤春夫の続きを若い人にやって欲しい」

以上で1日目8日分セミナーは終了でした。
<ノートについて>
今回セミナーに参加したのは、昨年につづいて2回目ですが、昨年はのほほんと観光気分で出かけてしまってて、せっかく隣国の韓国をテーマとした興味深い講演内容に耳を傾けながらも、ノートをなにひとつとらずに過ごしてしまったため、セミナーが終わった後で、SNS等でセミナーについて、ネタをつぶやこうにも、すべてを忘れてしまっていて、なにもできなかったので、今回はノートをとって、そして今後、熊野セミナーに関心をお持ちの方にも概要を読んで興味をもっていただければ、ということで備忘録としてノートをとることにしました。
<注意点>
ただし、ここにアップするのは、あくまでも旅の思い出の「ノート」です。これを引用根拠として、二次的に何かを論じたりされることは無きようにお願いします。何と言っても、もとが講演、対談ですから、じっさいに壇上で話されている内容は、ざっくばらんであちこち脱線したり、言葉が聞き取りにくかったりでいろいろで、おまけに書きとっているご本人も能力に限界があるので、自分のフィルターに引っかかった言葉しか拾うことができません。ICレコーダももちこんでいないので、メモの危うい箇所を訂正することもできません。
以上のゴタクをふまえて、添付画像のように書き殴ったノートをテキストに起こして、順番にアップしていきますね。
<8月9日ノート>
セミナー2日目最初の講義は、和賀正樹さんでした。版画家谷中安規佐藤春夫とのご縁とを説明しながら、議論好きで、大らかな新宮人が作り出した「サロン文化」へと話を広げていくという内容でした。大要は以下のとおりです。

☆8月9日10時35分「谷中安規佐藤春夫」講師:和賀正樹さん
谷中安規という人についてですが、明治30年奈良県生まれ、昭和21年東京にて餓死しました、版画家です。佐藤春夫のバックアップにより版画家として活躍したといわれます。幼少の頃は、韓国のソウルへ、一家で一時期移住していたり、東京都内に住んでいたときは、豊山中学を中退したりで、生涯を通じて、放浪癖があり、各地を転々とした生涯を過ごしています。
また、山谷に暮らしていたときは、長谷川利行とも交流しています(ちなみに、この「山谷」ととなりの「浅草」という二つの街は、「労働」と「遊び」の街ということでリンクしています)。
佐藤春夫が法政大学で教鞭をとっていた当時、内田百間も同僚におりまして、当時、百間が出版したい本があるということで、装丁を、佐藤春夫先生に相談しました。そのとき紹介されたのが谷中安規であり、そうして出版されたのが、童話集「王様の背中*3」です。
さて、棟方志功のように、版画で大家になってしまった人と比べると、この谷中安規という人は、生涯貧乏で、版画家としては成功したとはいえないが、不思議に人から愛される人でした。
さて、ここで、なぜ佐藤春夫の問題になるのか? なぜ、そんな谷中を、佐藤春夫は受け入れたのか? という話をします。佐藤春夫は、生前から、門弟3000人といわれるほど、人脈が広かったといわれます。それはなぜか? まず、千代夫人が、きわめて社交的であったこと、そして春夫自身も、来る者は拒まず、去る者は追わずの、おおらかで開放的な性格であったこと、そして新宮という街で培った「サロン文化」というものも持ち合わせていたこともあると思います。
文壇人によるサロン、というと、たとえば、井上ひさしの「竹の子の会」、渡辺淳一の「藪の会」、というのがかつてはありましたが、近年は減少する傾向にあるようです。かろうじて、都内の文壇バーが、サロン文化を補完しているともいえるとは思います。
話を変えて、この熊野大学は、むしろ「現代のサロン」ではないのか? もともと熊野信仰は老若貴賤を分け隔てず、すべてを受け入れ、そのことで奇跡の化学反応ができる場ではないのか? この熊野大学もそういう場所でありたい、ということで、お話は終わりです。

セミナー2日目2番目の講義は、佐藤春夫記念館館長の辻本雄一さんでした。谷崎潤一郎が、佐藤春夫へ千代夫人を「細君譲渡」した、文学史上の事件内容を、改めてご解説いただく内容。普段なかなか見られない資料も盛りだくさんで興味深いし、谷崎による演出の跡がずいぶんと多い事件だったのだな、と改めて感服しました。

☆8月9日11時15分「春夫、谷崎の細君譲渡の件とその問題について」講師:辻本雄一さん
今年は、佐藤春夫没後50周年ですが、ちょうど私も上京して50周年です。ちょうど東京五輪開催の年に、私が進学のため上京してからまもなく佐藤春夫さんは亡くなられたことを覚えています。
東京では、和敬塾に2年住みました。どうやらそのすぐそばに、佐藤春夫邸もあったようです。当時は700名近くも住んでいて、カメラマンの広河隆一さん、村上春樹さんも住んでいたようです。辻原登さんもカレーを食いによく来られていたそうです。それと、平野啓一郎さんのお父さんも、当時住んでいたようです。
この和敬塾では、毎月だれかの講演がありました。あの金田一京助さんもこられて、啄木の思い出を涙を流しながら講演されていたことも覚えています。
さて、東京五輪の年に佐藤春夫は亡くなられましたが、当時はすでに国民的詩人として知られていまして、五輪にちなんで作詞した「大会賛歌」というのが、当時の合唱曲として歌われた記録が残っています。
それでは本題の「細君譲渡事件」に入ります。まず、この「細君譲渡事件」と、それに先んじた「小田原事件」とをみると、10年もの月日を隔てています。
昭和39年に、谷崎が毎日新聞上に発表した回想によると、文壇デビュー当時、佐藤春夫芥川龍之介とはちょうどライバル関係にあったようです。ただ、芥川の方が先んじて世に出たものの、佐藤春夫が「西班牙犬の家」を発表したときから、谷崎としてはすでに注目していたそうで、もしもこの二人を比較してしまうならば、世間的には芥川の方が優勢だろうけども、佐藤春夫が(西村伊作との縁で)、新宮から持って来たサロン文化を、文壇にもちこんでくれたことは、改めて評価できないものか、と書いています。
佐藤春夫には「望郷の詩人」というキャッチフレーズがあるが、このことでかつて中村真一郎がおっしゃってましたが、望郷の詩人という枠内に納めてしまったら、何もでてこない、と思います。佐藤春夫が残した作品の広がりと、未来性とは、「望郷の詩人」というフレーズは別にして評価すべきと思います。
佐藤春夫は昭和4年、軽い脳溢血の発作を起こして、後遺症で足が少し不自由になります。中村光夫は、「そこで(春夫の)文学がひとつ終わった」と評しています。そしてこの年に、谷崎が千代夫人を春夫へ「譲渡」しています。
昭和5年に、谷崎、春夫及び千代夫人は、挨拶状を各関係者に配布します。春夫が千代をひきとり、また娘の鮎子も引き取る、という内容でした。文面はほとんど谷崎が書いたものだと思います。谷崎自身がわざわざ印刷機を購入して、谷崎主導で各方面に撒いたものだといわれています。
さて、さかのぼって、大正10年の小田原事件についてです。これは谷崎と春夫が絶交する事件です。詩「秋刀魚の歌」の背景でもある事件です。谷崎自身による演出ではないかという感もありますが、ともかく当時、千代夫人とうまくいかず、千代の妹のせい子と結婚しようとかいろいろしたようです。佐藤春夫も千代の件をめぐって作品を書いており、「この三つのもの」というのを書いているのですが、結局中絶してしまいます。「バルザック級の才能があれば、立派な作品が書けるのに」と後に述懐しています。
千代夫人もそれなりに抵抗はしたようですが、その当時はこれという証言はでてきてません(戦後になってからようやく当時の回想が知られることになりました)。
谷崎の発表した「蓼食ふ虫*4」は千代をめぐる当時のことが作品中にすべり込められています。阿曾という登場人物が、佐藤春夫をモデルとしたものではないか、と発表当時は言われてましたが、ただ、1988年になって、谷崎終平さんが、「阿曾は和田六郎(=大坪砂男)のことだ」と真相を暴露しました。
さてその後の千代夫人ですが、佐藤家に嫁いでからは性格が変わったと言われています。イメージとしては、肝がすわっていて、下町のガラッ八のようなお人柄で、佐藤春夫のことは、まるで子供扱いしていたと言われています。
大正10年5月30日に春夫は谷崎に向けて書いています。「僕は君に対する憎悪と反抗と憤怒とを以前君から受けた恩義のすぐ隣へ、決して混合しないようにして、貯えておく」
春夫はもともと論争好きな性格で、それゆえ「すばる」からは干されてしまった経緯があります。また自然主義の作家からも疎まれます。そんな佐藤春夫に、谷崎が助け舟を出した、という恩義のことを指しているものと思います。
同じ新宮出身の、中上健次もかなりな論争好きな性格で知られていました。新宮人の典型的なタイプなのかもしれません。

セミナー2日目3番目は、村田沙耶香さんと、藤野可織さんとの対談でした。お互いの作風、執筆の仕方、アイデアのまとめ方等を自由に雑談しながら、今後の作品への展望をお聞かせいただきました。こうして目の前で、実作について語っていただくと、あとでその単行本を読みたくなるから、楽しみが増えます。ありがたいです。

☆8月9日13時10分 <対談>村田沙耶香さん×藤野可織さん
藤野:アレルギー症状がでてましてくしゃみがでて大変ですがお気になさらずにお願いします。
村田:「植物愛好会」でお互い知り合った友人同士なんです。普段は友人として会ってはいますが、お互い、作品を語り合うのは今回が初めてです。
藤野:村田さんの作品を改めて読み返してみますと、「おおかみ」「逃げろ」が好きですね。殺して生き延びる人の姿というものが描かれることで、自分の知らなかった原始的な領域があぶりだされたかのような作品です。
村田:うれしいです。
藤野:戦って生き残ることに興味がありまして、書いているようなことが多いような気がします。
村田:ホラーが好きなのですか。
藤野:好きですね。村田さんはどうですか。
村田:内臓がでてしまうホラーはだめですね。読むのは大丈夫なのですが、映画はだめです。体調が悪くなります。
藤野:あと、「殺人出産*5」が好きです。特に最後のシーンの殺人が生々しいです。ああいった関係の解剖図や図鑑をみるのは大丈夫なのですか。
村田:解剖図や図鑑のカラーコピーをみるのは平気なのです。
藤野:図鑑は好きですね。
村田:図鑑は子供の頃から好きで、身体への興味はありますね。
藤野:ことばの選び方や、文体は変えていますか。
村田:できれば、文体は違う方がいいです。
藤野:アイデアがだいたい先ですね。
村田:拝読していて、すごく感じます。
藤野:アイデアを発想して、それに合わせた文体を作り上げていくということは、よくやっているように思います。
村田:ありがとうございます。
藤野:「殺人出産」のお話を少しします。この世界は、10人生んだら1人殺してもいい世界なのです。生殖の為のセックスではなくて、産むために殺す世界です。出産という行為とは淡々と子供を育てていく、という一般的な常識はまずおいといて、出産というリスクから、単純にことが始まっている、という発想が新しいです。タイトルも衝撃的ですね。ただ、呪詛、怒りによるものは、あまり感じません。素直で、無邪気な発想によるものだなという感じがします。
村田:そうですね、グロテスクというよりは、人間が子供を産んだり、産んで、命をつなぐということ、それへの純粋な好奇心から書いてみた作品かと思います。
藤野:主人公のお姉さんは、もともと殺人願望をもっていて、10人産めば、1人殺せる、という発想がおもしろいです。
村田:淡々と書いてますし。
藤野:殺人というものは、刑罰があるからやらないのであって、人間が動物だった時代なら相当やっていたのでは、という感覚はあります。
村田:読んでてわかります。
藤野:「トリプル」は、3人以上で恋人になる、という価値観で清潔な結婚を医療機関へ届け出るお話ですね。「余命」はいかにおしゃれに死ぬかというお話で、どれも、タブーに挑戦している作品なのかなと思います。それも、単純に、いまの私が、どうしてこうなるのか、という好奇心から書いているように思います。
村田:いろんなことを「何でなんだろう?」と考えるのが好きです。たとえばお母さんにあたりまえに手料理を作ってもらえる件について、「何でだろう?」と考えるのが好きです。そういう子供っぽさが残っているんだなと思います。
藤野:子供っぽさが素直で、作品の中でひろがっている。制度への憎しみとかではなくて、素直さ、そこがいいところだと思います。
村田:作品のテーマを考えるのは、好奇心からだと思います。小説というものを、すみずみまで楽しんで書いているように思います。遊び、というか、柔軟で、肩に力の入っていない感じがします。作品を発酵させるのはたいへんなことだけど、そこを楽しんで書いている。人は殺される、だけど、楽しい感覚があります。
藤野:いろいろ考えることは楽しい。書くことは面倒でも、書くと、思ってたことが変わります。その変わることが楽しくて書いています。
村田:書くと、変わるというのは確かです。お話を考えることと、書くのは違います。ことばの力というものなのか、小さい頃からことばの化学変化を楽しむつもりで書いています。
藤野:「嘘小説」と「小説」とは違うのですか。
村田:「嘘小説」は、人に見せるために書くものです。対して、「小説」となると、手に負えないものになっていく感覚があります。いとおしくて、誰にも見せられない感覚です。もっとも、いまとなっては、人に見せるための「嘘小説」は書けなくなりました。
藤野:どちらかというと、読むことが好きですね。高校生のころは、一時期読まなかったこともありましたが。
村田:何かを観念すると、テコでも動かないで、世界を吸収してくるというのか。・・・
藤野:そうであるといいのですが。・・・村田さんは読まれていたのですか。
村田:子供の頃は少女小説を書きたかったのです。小説的なものを読んだのは、高校生のころに山田詠美を読んだときのことからと思います。
村田:(執筆は)手書きですか?
藤野:いえ、パソコンです。
村田:最初は手書きです。ノートに書くテンポでないと、文章が生まれないのです。まず、ノートに書いてからパソコンに書く。それを印刷してから書き込んでいきます。
藤野:ちょっとしたアイデアは手書きのメモですが、いきなりパソコンで入力しています。
村田:その方が、あこがれますね。言葉に対する意識が高いと思います。
藤野:セリフが書けないのです。村田さんの小説はセリフがどんどんでてくるからすごいと思います。わたしの作品もセリフはあるのですが、作るのはすごい苦手です。
村田:「二人の恋」は、チャーミングにできあがっていると思います。「エイプリールフール」も好きです。
不思議なことを書くのが苦手ですね。藤野さんはその点、自由でいいなと思います。小説が本物の状態になるまで丹念に書いていると思います。ひとつひとつがそう思います。
藤野:長いのを書きたいという気持ちはありますか。
村田:400枚くらいのを書きたいです。
藤野:わたしは、作品が長くても170枚くらいなのですが、400枚くらいで、もっとすさまじいことを書きたいと思っています。
村田:楽しみですね。
藤野:いつできるのやら、ですが、・・・「しろいろの街*6」は執筆どれくらいかかりました?
村田:一年半くらいかかりました。特にラストの部分を全部打ち直したのでなおさら時間がかかりました。
村田:長いのを書きたいですね。パターン化されたものがあって、そのパターンの先にあるものを書くのではないかと思います。
藤野:「しろいろの街」は、主人公の女の子が自分から探究しているのが、おもしろいなと思います。
村田:藤野さんの作品は、殺す、という感覚が、身体感覚で描かれています。そういう藤野さんの肉体感覚が、倫理にとらわれず、風通しがいいですね。
藤野:倫理的なことは抜きにして、登場人物にも加担してこないように書きたいという気持ちはあります。村田さんの「トリプル」もそうだと思います。3人のセックスの仕方も一般的なセックスとは違ったもので、ちょっと変わってると思います。普通の2人セックスへの嫌悪感、拒否感も感じます。
村田:それぞれ公平な立場で書く、ということは自分でも意識しています。ところで、大学で美術を学ばれたことは、なにか影響はありました?
藤野:物をみるとき、冷静にデッサンするという技術は、役にたっていますね。美術館で作品を見ることも楽しいと思います。
「ファイナルガール*7」は、自分の中で意識の「縛り」を描いたものです。その後に書いたものは、いろいろ実験して、少しずつ、恋愛小説へもっていくようにしています。それらは純粋な好奇心でやっています。

セミナー2日目4番目は、松浦理英子さんの講演で、テーマは「文学とマイノリティ」ということで、クールな口調で、自由奔放に語ってくれて、たいへん楽しい内容でした。

☆8月9日14時05分「文学とマイノリティ」講師 松浦理英子さん
熊野のセミナーは2回目になります。すでに中上健次の(亡くなった)年齢を超えました。今回、「文学と女性性」というテーマをいただいていまして、このテーマで20年以上やっていることもありますが、これという進展もなく、すでにうんざりしています。そのため、このテーマにはふれずに、自由にやらせていただきます。
さて、この「文学とマイノリティ」というテーマは、まじめに取り組んでいるテーマであり、小説家になってからは、「一般とはちがった存在」というものについて考えてきました。この二つは、非常に親和性が高いのです。我と彼との関係性、そして差異は、物語としやすい要素なのです。たとえば竹取物語の姫も、いわばマイノリティで、まれびとでもあります。こういった稀少なもののまわりにこそ、物語が生まれるのです。とくに民話に多いです。
①マイノリティか②マイノリティの周りの共同体か、どちらかに立つことについてですが、②は、いわば支配する側に立つということです。暴力性もはじめから含まれています。語るもの語られるものすべて暴力性を含んでいます。はじめから汚いものを含んでいます、それが文学です。自分は、マイノリティという立場で文学を書いていますが、そのことで自分がイノセントだとは思っていません。自分への戒めとしてそう思っています。一般に近代小説というものは、共同体の側から書いているものですが、かといって共同体にのみこまれるような小説は書きたくありません。たしかに文学は、支配する側面もありますが、あくまでマイノリティの立場から書く人でありたいです。
文学マニアの人にも、共同体を揺るがしたいという気持ちで、マイノリティを利用するという人もいますが、わたしは決して賛同はしません。
共同体の視点にとらわれない、ということで、最初の作家は、谷崎ではないでしょうか。あの人はマゾヒズムという立場で小説を書きました。あの世代では、これはすごいことです。たとえば「異端者の悲しみ」では、主人公はセクシュアリティのことで自身が悩んだりはしません。細かい悩みはあっても、マゾヒズムそのものはモラルには反しないということもあります。自分を否定するほどのものでもなく、悩むほどのものでもないので、告白にもなりません。
三島由紀夫金閣寺*8」に、柏木という内翻足で松葉杖をついている人物がいますね。あれはなぜか女にもてます。足が痛いということですぐにだだをこねるということが、逆に女性に愛される秘訣であって、ハンディキャップを、むしろ女の愛情をひきよせる装置として利用しています。世間の価値にとらわれずに生きる、この柏木という人物は魅力的です。
性的少数者は、自分の価値観をもっとも大事にします。セクシュアリティを描くときは、根底にそれを置きます。
たとえばジェームズボールドウィンという黒人で男色家という二重のマイノリティを背負っている人がいますが、「ブラックイズビューティフルなんて言わなくても良いんだよ」と言っています。自分の価値観そのものを気にするということへも反発を示すのです。プロテストとしては、正しい言葉だとしても、小説家の感性としては、言わなくてもいい言葉というのもあるのです。
さて「ナチュラルウーマン*9」は、共同体の期待に沿わないように書きました。何歳から性に目覚めたなどということも書きません。レズビアンであることも、主人公は悩んでいません。同姓愛者として悩むこと、そのことに大きな問題はないと思っています。
「変態好き」という小説では、自分の内でこじれた性欲が、同性愛であることを、主人公がおびえているように読まれたこともあります。
ナチュラルウーマン」では、レズビアンとは何か?共同体の問いかけとは何か?といったことは書いていません。何かを理解すると言うことは信じておらず、他者を支配し、植民地化しようとすることはしません。レズビアンの実態なるものは、小説を読んでもわかるものではないが、そういう、わからないものを書きたいと思っています。
中上健次さんの場合は、文学の根に、「悪いもの」がありますが、中上さんはその悪いものを飲み込んでしまう力があります。そのため中上さんの「路地」には、特権的なものすら感じます。文学を深く愛しているのだなと思います。
わたしも還暦を迎えたら、悪の道に入っていきたいと思っています。ご静聴ありがとうございました。

セミナー2日目5番目は、渡辺直己さんのご講演。本当は斎藤環さんの講演だった予定が、台風がひどくて列車が動かず、熊野にご来場できなってしまったために、突然の代打講演だったようです。それでも、樋口一葉と同時期の作家とを比較しながら、ストーリーから因果関係を排除することで、旧弊を破壊し、奇しくも新機軸が生まれるという内容は、なるほどと思います。文学と女性性という今回のテーマとも絡めています。

☆8月9日14時45分「」講師 渡辺直己さん
中上健次は、紋切り型な部落差別を、作中で積極的に使う傾向があります。それでいながら差別的にならないところがあります。
マイノリティを、紋切り型で描き、共同体との関係を安らかに保つのは簡単なことです。また紋切り型を使わず、存在を認めながら、否定するのも簡単です。
さて、さきほど松浦さんが仰ってました、谷崎のマイノリティへの理解についてですが、たとえば、谷崎には「金色の死*10」のような失敗作があります。あの主人公は、マイノリティである自分自身を悩んでいます。つまり、いわゆる世間の期待するマイノリティを描いているのです。無防備に描いてしまい、駄作を書いてしまう例です。
中上の場合は、紋切り型を使ってはいるのですが、描写力が傑出しているので、結局差別にならないです。
ここで、滝沢馬琴が1835年に残した「稗史七則」についてお話します。
 ①主客②複線③照応④反対⑤下染(因果関係を描くこと)⑥省筆⑦陰微 
この七則は、「八犬伝*11」の最後に書かれています。
たとえば、殺人事件が起きたなら、その原因⑤は必ず書かなくてはならない。このことを明治以降の男性作家は一生懸命に追究します。冒頭でいきなりおもしろいツカミを明示し、その後で、なぜそうなったかを描きます。それが?下染です。いまはあたりまえの描き方ですね。
たとえば鏡花には「外科室」という短編がありますが、あれは「上」でいきなり手術シーンになります。主人公は麻酔を受けることを拒みます。麻酔されることで要らざることを話す可能性があるからです。そうして手術を受けるので、死んでしまうわけですが、手術した医師も死んでしまうストーリーです。そして「下」になると、いきなり9年前のシーンになります。小石川ですれ違っただけの男女が恋に落ちる。そしてその9年後に、患者と医師という立場で出会ってしまう、という「上」に至る因果関係が描かれます。つまり⑤下染です。
これが樋口一葉の場合ですが、彼女の場合、⑤下染をすべて排除してしまいます。「おおつごもり」では、お金を盗むつもりが、そのお金がいつのまにか別の誰かに盗まれてしまうストーリーです。ところが、その盗まれた因果関係は省かれています。また「たけくらべ」も同じように因果関係が省かれていて、突発的な印象があります。「うつせみ」も理由が明示されないまま、主人公は狂気に陥っています。ただ、これ、草稿を読むと、その狂気の理由は描かれているのですよ。
このように、一葉は、因果関係を省くことが多いです。同時期の男の作家は、きちんと因果関係を書いていますが。
一葉の師匠は、半井桃水です。おそらく因果関係を描くことも、この師匠から教わったのかもしれません。ただ、一葉は、師匠からフラれてしまいます。どうもこのことが原因で、因果関係を省くようになったのでは、関係を切断する書き方をするようになったのでは、と思います。
フローベールも因果関係を排除する傾向があります。
このように、因果関係を描くというマッチョな「秩序」に対抗することで、奇しくも名作が出来てしまう、という一例です。こうなると、文学において、女性性、男性性とかいう言い方はナンセンスにすら思えてきます。もっとも、当時としては、一葉は、一家の家長でもあり、史上初めてのプロ作家であって、そこをジェンダー的な解釈をすることもできますが。
たとえば、ヴァージニアウルフの作品でも、A,B,Cさんそれぞれの人物が思うことを自由に書いて、地の文では説明を全くしないスタイルのものもあります。言葉がなにに帰属するのかは、もっぱら読者に委ねられていて、そこから小説が読者へ近づいていくわけです。
さて、中上健次はどうか? 私見では「地の果て 至上の時*12」を境として、どうも図式的なことにこだわるようになっていったように思います。とくに後期はその傾向が強くなっていきます。
ただ、そうではないという意見も知りたいし、一葉が行ったようなことが、中上にもあるのではないかとも思います。そのことは新しい研究者からも教わりたいと思っています。
以上です。

セミナー2日目最後の6番目は、中上紀さん、村田沙耶香さん、藤野可織さん、松浦理英子さんの対談でした。

<座談>8月9日 15時40分 座談:中上紀さん、藤野可織さん、村田沙耶香さん、松浦理英子さん
中上:わたしたちは先に、七里浜の、岩の聖地で、女性の象徴の場である、「花の窟(いわや)」に行きました。白くて、巨大な岩場で、まるで女性器のように見えます。海から眺めると、白く輝いてみえると言います。ここで行うお祭りもたいへん原始的な特徴があります。太い綱を岩に結わえて、海から引っ張ります。まるでへその緒にも似ているようなイメージです。
こちら新宮の大浜も、七里浜とは、地形的に似ています。海岸が深くえぐれていて、ディープで、かつては花の窟のような岩がたくさんあったと言われています。花の窟まわりは、南方的な植物が多くて、ちょっと母系社会を連想するような雰囲気があります。
こういう、人間の原点のようなものが、この熊野のあちこちにあることを、見てもらえて嬉しいです。
松浦:20年も、「文学と女性性」とを取り扱っていますが、書き方による女性性の特徴はなにか、と言われると、とくに無い、というのが、このごろの結論です。女性性、セクシュアリティの定義は、だんだん崩れてきています。
村田:女性の性をテーマとして描くことが多いのですが、女性として、なにか圧迫されていることが多いのでは?と思われることは多いですね。しかし、主人公には、「肉体」をもってほしいということで、女性を描いているわけですから、どうしても、そうなります。何かに怒りを込めて、執筆しているわけではありません。
藤野:女性性がマイノリティ、という件については、わかりません。脳天気なせいもありますが、女性だから云々と考えたことはないのですが、ただ、ものを書いているうちに、女であることを自覚してきて、小説も変わってきました。ただ、怒りのような感情やメッセージは、小説には込めてはいませんね。
松浦:文学と女性性というよりは、文学と犬性という方が割にあっているような。・・・1990年代は、女性作家が出た、という現象はありました。ただ、女への反発もあって、女性性ということばには、何かしら強迫があったように感じました。それ自体が一種の罠でありますが。だから、文学と女性性と言われると、ついナナメから見てしまうように思います。
中上:女性性という言葉は、考えたことはありません。女性がマイノリティかどうかというのも。
松浦:被差別者ということでしょうか?
中上:虐げられているから、たいへんだとかいう、とらえ方の問題なのかなと思います。
松浦:ナチスの収容所でも、パーティやってて、楽しんでいるという例もありますしね。
中上:学生の方と接するときが多いのですが、就活の話となると、女性としてのたしなみが求められることがあるようですね。もっとも、今はそういうことは無い、と言われるけど、とはいえ、消えてしまっているわけではありませんね。
松浦:日本社会の9割の男性が、わたしのことを嫌っています。そのせいか、年下の男性といると、意外に気分が良いです。
村田:共同体が喜ぶような人物を描きたいと言われるときは、差別を感じてしまうかもしれません。何か、そこに主張を感じてしまいます。
藤野:日常生活では、差別は感じますね。
松浦:日常での女性差別は、社会の問題であって、文学の問題ではないとも言えます。プロレタリア文学の失敗作みたいなことになりかねません。セクシュアリティも定義を広げていく形で、描いていくということで、藤野さん、村田さんのやり方は正しいと思います。
村田:女性性と戦うよりも、怒りよりも、規制概念をこわす小説を作りたいと思います。
藤野:人に何かしらのエールを送りたいと思って書くことはありませんね。
松浦:会話文における、女ことばの問題ですが、・・・これらは明治期の芸者言葉から始まったもので、たとえば、一葉は、半井桃水の弟子なわけですが、「〜だわ」と書くことを、その師匠から指導されているのです。
村田:会話文で「〜だわ」使っています。違和感はあるのですが、排除すると不自然になりますね。
藤野:「〜だわ」は使っていませんね。日常の話し言葉「〜だよ」をそのまま使っています。
中上:わたしは「〜だわ」派です。
松浦:東京の人は「〜だわ」と言う傾向があります。
中上:プリキュアにも「〜だわ」がありますね。
松浦:プリキュアは「様式美」ですね。
「〜だわ」は、伝統芸みたいなものであって、使うべき時は使っていいのかなと思います。
藤野:京都に住んでいるので、ふだんのことばは関西弁です。それを標準語に置き換える作業をしています。
松浦:東京言葉による抑圧は問題だと思います。
藤野:「〜だわ」は、小説をよむ上では、違和感はありませんね。
村田:「〜だわ」も排除し過ぎると不安になります。むずかしい問題だと思います。
松浦:ラテン系でも、男と女とでは、ことばは違うようです。ただ、日本の方言では、男女は、そんなに差は無いです。
西村賢太さんは、わりかし自然に「〜だわ」が出てきます。
中上:新宮弁の小説を書きたいと思っています。
藤野:京都弁の小説も書きたいですが、そういう場合、地の文はどうなるのでしょう。
松浦:源氏物語なんか、京都弁で書くのがいいのではないでしょうか。
村田:台詞でも、地の文でも、松浦さんの作品の場合、いままで言語化されてこなかったものが、言語化されている喜びはありますね、すごいと思います。
藤野:ここまであからさまに言っていいんや、と思うことがすごいと思います。
松浦:ありがとうございます。
中上:「変態好き」の件ですが、佐世保の殺人事件を知ったとき、これってどこかで知ってた事件のような気がしました。
松浦:広島県の事件でしたか。ただ、佐世保の事件は現代的ですね。
村田さんは、佐世保の事件の、あの女の子のことは、もしかしたら、わかるのではないでしょうか?
村田:わたしの作品の主人公は、殺人という感情は、自然なものとして思っています。殺す、ということ自体に興味を持っているのだと思います。ただ、佐世保の事件のことはわかりませんが。・・・
藤野:「我慢できないから殺した」という言葉を聞いたときは、その殺す方を選択する方が楽だ、と思ったからでは、と思います。
中上:殺すということへの興味についてですが、死とは生との裏返しなのだなと思います。
松浦:佐世保の子は、感情を抑圧しているのではないか。そういう抑圧された人物に、興味があります。
中上:佐世保の子の場合は、生と死への関心であって、征服しよう、というものではないと思います。
村田:魂はどこにいくのか、とかいった子供っぽい興味のように思います。しかし、それで実際に殺人に行ってしまう、となると、わかりません。もっとも、共同体がそこになにか、望む物語を作ってきてるような気も、しないでもありません。
藤野:物語にしないと理解できないこと、そして何を理解してほしいか、というのはあります。

(質疑応答)
聴講生1:共同体におけるマイノリティと、女性、という件についてですが、共同体というのは、日本ではすでに幻になっているように思います。そういう現代において、30代〜40代の男性のマイノリティ感は相当なものだと思います。大学をでても、正社員になれない世代ということもありますね。そういう現状を、女性としてはどう思いますか?また共同体は復活するでしょうか?
渡辺:文学が形作る共有性が、ここでの問題であって、あなたの思考は、共同体の思考であって、何かしら混同しているのではないでしょうか。
中上:個人的には、非正規雇用については、それほどあわれむような感情はありません。売れてない作家さんには、そういう境遇の人はよくいます。そしてそういう人に限って、おもしろい人が多いですね。
藤野:生計は心配ですね。いまは、ものを書いて生活していますが、それがいつまで続くことかは、わからないし、もし何かあったときに、改めて正社員として働けるものか、とは思いますね。
村田:非正規雇用がマイノリティだとは、気がついていないことは、あります。
松浦:男性が働けない問題は、マイノリティというよりは、階級問題ではないかと思います。
聴講生1:マイノリティは、むしろ男性の方にあると思うのですが、どうでしょう。
松浦:今度生まれ変わるときは、女性に生まれてみてはどうでしょう。

聴講生2:「軽蔑*13」を読むと、ここでは男女は五分五分なものとして描かれていますね。村田さんの「しろいろの街」では、おしまいの方で、男女は五分五分になるように思います。ただ、女性の作家としては、男性は想像上の存在に過ぎないと思うのです。たとえ限界はあっても、理解の不可能性はあっても、そういう他者を、認められるものですか。
村田:他者との関係をどうするかという件ですか。正直、わたしは、現実の人間はよくわからないのです。ただ、文学のなかでなら、いろいろな形が可能だと思っています。

聴講生3:NHKで、LGBTの普及が言われていますね。松浦さんのおっしゃる、共同体からは押さえつけられたくない、という思考はあります。それでいて、新たな衷体を作ることも大事でもあると思います。そういう意味でなら、社会の共同性を取り戻すことは、評価してもいいのではないかと思います。
松浦:LGBTのようなセクシュアルマイノリティの公認関係を認めてほしいという件ですが、たしかにそれは法整備としては、未整備な問題ではあり、それはよくわかりますが、それは文学の問題とは別なのだ、という気持ちがどうしてもあります。作品を書く上では、支援みたいなことは出来ないですが、ただ、別の形で、性のあり方をひろげていくということで、LGBTにとっても、悪くない形で、作品は書いていきたいと思います。ただ、私見としては、LGBTについては、すべて賛成というわけではありません。

(ゲストのご挨拶 中沢けいさん、高澤秀次さん)
中沢:昨年は講師として参加しましたが、今年は聴講生として参加しました。また、温泉にも入りたくて、来ました。
さて、会話文の語尾の件は、近代作家の男性の方も諸々苦労している問題です。佐藤春夫も谷崎もいろいろ議論しています。
また、会話文ではなく、地の文の「だが」「しかし」を連発すると、男性的な感じになるので、修正されたことはあります。
松浦:○○○○のこと?
中沢:そうです(笑)。
それと、ひとつの事件に対して、通俗的な理解を押しつけることには、いろいろ問題があります。それでも、通俗的なら、まだ許せます。このごろは、通俗を越えて、「俗悪」になりがちです。特に猟奇的事件が起きると、理解は俗悪になりがちです。
あの酒鬼薔薇事件以来、なにか人の肉体に対して、解剖学的な興味を持つ人が多くなったように思います。お金があって、美貌があって、そして頭が良ければ、医学部にいけば良いのに、どうして殺人をしてしまうのでしょうか。
文学は、社会的問題とは対決できません。だけど、なにか新しい言葉を、読者と共有する手段ではあるのではないでしょうか。

高澤:日本の近代以前の時代は、個人の論理は、無いように思われますが、それでも江戸初期の落語には、これがあるのです。「鰍沢(かじかざわ)」という落語がありますが、あれは、異人殺しであり、旅をしている座頭(宗教的な漂泊者)を殺す物語です。
中上の「岬」は、共同体が安定している時代の物語ですが、それが「地の果て至上の時」では、共同体はすでに揺らいでしまっています。そういう世界に、秋幸が戻ってくる物語です。

以上で、2日目のノート書き起こしは終わりです。
このあと、会場のグリーンランドの食堂に移り、盛大に大宴会をやりました。
ただ、この夜の宴会で焼酎をかなり飲んでしまい、記憶が無くなるくらい酔ってしまったようです。翌朝は、軽い二日酔いになってしまい、3日目の講義は、ノートはほとんど取れずに終わりました。申し訳ないです。
3日目の講義は午前中のうちにひととおり終わって、いよいよ帰宅です。ただ、雨が激しく、途中の道路は水没していて、やむを得ずバスは回り道をして、新宮駅まで向かいました。ところが、帰りの電車は台風のためにその日はことごとく不通になってしまい、新宮駅で足止めをくらいました。やむなく新宮駅前でもう一泊して、セミナー4日目補講ということになりました。
だけど、台風のおかげで、これはこれで南紀らしい夏だと思います。なかなか楽しい思い出になりました。もろもろ感謝申し上げます。
以上を「思い出」として記します。おつかれさまでした。