本日の読了

トルーマン・カポーティ〈下〉 (新潮文庫)トルーマン・カポーティ〈下〉(ジョージプリンプトン著,新潮文庫)」下巻ではひとりの作家が「冷血 (新潮文庫)」の成功で頂点を極め,その名声を盾にセレブの世界に出没。しかし,続く長編「叶えられた祈り (新潮文庫)」でセレブの実態をネタにしてしまい,その赤裸々な筆致がもとで,あっという間にセレブから義絶されてしまい,信用と名声ががた落ちになってしまう。
それが引き金となり,以降はアルコールと薬物依存に陥ってしまう。そして急速な肉体の老いと,小説が書けないスランプの日々。そして,死。それらは読んでて痛々しいが,深い教訓に満ち満ちていて,−−それも多人数の証言による複眼的な視点が得られることもあってか,−−いいかげんに読みとばせる箇所が少ない。おかげで上下巻読み通すのに2週間もかかってしまいました。
ここまで時間をかけて読んだのだから,この秋公開される映画の方も,出来を比べるために見に行きませう。以下メモ。

ジョーン・アクセルロッド:あれこそ強迫観念に支配された行為というものよ。大酒を飲み,ドラッグを乱用し,完全に自制心を失っていた。自分が嫌いだったから他人からも嫌われるのが当然だと思い込んだのね。珍しいことじゃないわ。実際に才能が涸れるよりも,そう思い込んでいるだけってことのほうが多いのよ。才能がある人はつねにその危険を抱えている。それをどう乗り越えるかが問題なの。劇作家のビル・インジが自殺したとき,トルーマンとそのことについて話したのを覚えているわ。ビルは自分が時代遅れでもうヒット作が書けないことを苦にして自殺したんだと言われていた。でも私はこういった。「それは違うわ。ビルは欝状態にひざを屈したのよ」彼は誰とも会わず,話しもしなかった。なんとか書き続けるために,やむを得ず人と接触する作家だって大勢いるじゃないの。才能は尽きるものではないと思う。ただ,使い方をまちがえただけ。トルーマンの才能だって尽きたなんて思わないわ。作家という職業に惹かれるのは破滅型の人が多いでしょう? そういう人は,老いることや,世間に忘れられることをすごく怖がっている。それにたとえ成功しても,自分がそれに値しないのではないかという恐れを抱いているものよ。トルーマンの場合もそれが大きな問題だったんだわと思うわ。
ノーマン・メイラー:彼の破滅については周囲の連中にも責任の一端がある。だが,とやかくいう気は無い。連中がいなかったら,彼は精神をむしばまれて十年まえに死んでいたはずだ。長く生きられない定めだったのだろう。彼の一生は勝利だったのかもしれない。挫折ではなく。あんな生い立ち,あの体格,あのハンディキャップをはねかえせるのは彼だからこそだ。トルーマンのお仲間のほとんどはろくでもないやつらだ。陳腐な不運をめそめそを嘆くだけ。しかし,トルーマンはハンデを突破した。肝っ玉のすわったチビだったよ。だが,その肝っ玉がどんどん膨張してゆき,あるとき不意に消えた。・・・若いころの彼は自分を笑い飛ばす最高のセンスを持っていた。チビのトルーマンという自分を知っていて,それで十分満足していた。自分の手の内にあるもの,できる範囲のもので十分幸せだった。

これら証言からは,薬物とかにおぼれたりして周囲を混乱に陥れながらも,それでも人間としての意地を守るために,必死に生ききったその凄絶なさまがありありです。
はてな内にもなかなか良い感想文があちこちにアップされていて参考になります。うれしいことに24日付エントリーにも同著読者様からのトラバがぶら下がってくれました。
youtubeにも,映画絡みの動画が公開されている模様*1トルーマン本人の映像もついています。独特の「甲高い声」と「会場の大勢の客を湧かせる話術」とは,こういうものなのかと実物で検分することが出来ます助かります。早口な英語なんでなに言ってるのかわかんないけど。