本ネタ

12月8日付にて,長年の探求書であることを表明していた「瓦礫の中 (中公文庫 A 50-3)吉田健一著中公文庫)」を,本日ようやく古書店の棚にて発見及び落手せり。これで吉田健一@中公文庫は,全冊そろえたことになります。文庫本というチープでプチなコレクションではありますが,こうして全冊そろってくれるのはうれしいものです。さっそく少しづつ読んで楽しんでます。敗戦直後の焼け跡の東京を,ずいぶんとのんびりした余裕ある筆致で書いてくれてますくれてます。

こういう題*1を選んだのは曾て日本にも占領時代というものがあってその頃の話を書く積りで,その頃は殊に太平洋沿岸で人間が普通に住んでいる所を見廻すと先ず眼に触れるものが瓦礫だったからである。
・・・その頃*2の東京は今日よりも遥かに美しくて都市の名に背かない町で,ラフカディオハーンは明治初年の東京に就て少し高い所に登って見渡せば東京は都市よりも森を思わせると書いているが,戦争末期に近づいてた東京もまだ多分にその面影を残していて緑の拡がりの中に掘割が縦横に切られ,それが青空の下では紺碧にみえて敵機の乗組員も結構眼を楽しまされたに違いない。
・・・そうした空襲で起こされた火事も,それが余り自分がいる所に近過ぎなければ壮観だった。我々が炉に火が燃えるのを眺めていても冬ならばいい気持ちがするもので,火事は江戸の花とも曽て言われ,今日でも遠くの火事は綺麗なものである。
・・・もし水はと問うものがあるならば,その頃は焼け跡に水道栓だけが焼け残っているのがあって栓を回せば水が流れ出し,明りは多少の危険を冒して同じく焼け残りの,或いはその後に修復した電線から電気を取れば戦災という言葉がどこでも聞かれた時代に文句を言う役所もなかった。

なんかなあ,たいへんな時期だったのはずなのに,もはや過ぎたことゆえ,のんびりのほほんと回想されているような語り口です。
それでも,当時の東京を焼いたのは,やはり炎で焼くための”焼夷弾”が主体だったことがあらためてよく伝わってくる文章です。木造家屋等は焼夷弾の油で燃えつきてしまっても,水道管と,蛇口はしっかりと残るものなのですね。
そういうことはさておいても,それでも到る所瓦礫だらけの惨状なはずなのに,なんとも悠々たる記述が,第一章から延々延々綴られております。なんとも吉田健一らしい不思議な世界でございます。
とりあえず,一章読んだので,のこりも後で少しづつ。けっこうすんなりと読み終えられそう。
○「聖少女 (新潮文庫)倉橋由美子新潮文庫)」も同じく古書店にて落手。こちらも追々。
○本ネタを主体とするブログこそ,まさしく,本物のブログであります。

*1:瓦礫の中

*2:空襲を受ける前の