本日の読書

背中の勲章 (新潮文庫)吉村昭新潮文庫)」昭和17年4月太平洋上で哨戒艇任務についていたところ米機動部隊(ドリトル空襲目的)発見そして即無線で日本へ通告したため米軍にも無線察知されたちまち海上で撃ち合いしかし多勢に無勢の争いに勝ち目無くすぐ捕まって捕虜になり米サンフランシスコ捕虜収容所へ連行されそのまま敗戦までの凡そ4年間を過ごした男を描いた作品。真珠湾のサカマキ少尉に続く国内二番目の捕虜とのこと。アメリカの収容所は脱出を試みようとすると即射殺される決まりになっているものわりかし穏やかな環境だったとのこと。食糧はふんだんに与えられるし労働時間は朝9時から15時までと決まっているし前述のとおり脱出さえ試みたりしなければ命の安全は保証されているしで想像以上にゆるゆるな捕虜生活だった模様。ただ日本軍の規律では捕虜になることは”屈辱”だったので戦場で死にきれなかった悔恨と焦燥が普段から頭を離れることはなかったとのこと。まことに想像を絶する苦しみと察するより他なし。
しかし,ふとこの哨戒艇任務について思ったのだが,どうして,敵機動部隊を発見するまで「無線封鎖」なのだろう。それよりか哨戒艇をもっとふんだんに太平洋上に浮かべといて,無線なんか封鎖しないで常日頃ひっきりなしに無線で交信を繰り返していたほうが,米機動部隊もうかつには近づこうと出来ないわけで,そのほうがむしろ,太平洋岸の警備としてより賢明だったような気がするのだけど。やっぱり,意図的に,沿岸を警備手薄に見せかけといて,そこに米機動部隊を「招きよせてから」叩こうという意図が,日本海軍の方にあったということなのかなあ。そのへんのことはよくわからないですが,そのうち別の軍記ものに出会ったときのためにチェックしときます。