尾崎翠さんツアーにおじゃましてました。

尾崎翠さんというと20年位むかしに仙台の古書店(たしか萬葉堂だったと思う)で學藝書林刊のアンソロジー集「黒いユーモア*1」を古書で買ってから気になっていました。収録作品は「第七官界彷徨」ということで、当時ざっと読んでみたのですが、すこしイラつき気味でななめ読みしてしまったので、初読当時はあまり頭に入りませんでした。また巻末の花田清輝さんによる解説文「白磁鳳首瓶」もいきなり冒頭で「解説というのはむつかしい」と暴露してしまっており、肝心の「第七官界彷徨」に言及する箇所に至っても、「もっとも尾崎翠の『第七官界彷徨』という1篇だけは、わたしにはわたし以外の人のたくみな解説が必要なようにおもわれる。それは、わたしがこの作品のほかには、なに一つ、作者について、たしかなことは知らないばかりではない。およそ資質の点においても、わたしとは正反対の作者であると考えられるからである」と前置きを置いていたりするもので、おせじにも「作品の読解を助ける」ような内容ではなかったように思います。だから「蘚の恋愛?ふ〜ん、つかみどころがない世界だなあ」と思っただけで、その当時は巻を閉じてしまいました。正直言って、鈍感な読者でございます。ところが、時は巡りに巡って自分自身がなんと4月から鳥取県米子に住むことになりました。ここに至って長年気になっていた「第七官界彷徨」が自分のなかでクローズアップされてきました。この機会にじっくり腰を据えて読み直してみなくてはという気分にもなったので、改めて冒頭の「黒いユーモア」に立ち戻って2〜3回読み直してみました。それにいまはすでに21世紀です。前世紀とは違って、いまでは河出から出ているムック本「モダンガアルの偏愛*2」ほか尾崎さんにまつわる「たくみな解説」本がたくさんリリースされています。それらを踏まえて読み直してみると、小野町子という内気な女の子と、彼女を囲む下宿先の奇妙な同居人たち、そしてそれら面々を距離を少し置いた乾いたユーモアの混じった文章で描かれている件に当てられてしまうと、なかなかどうしてハマってしまうものがありました。お酒でものみながら少しほろ酔い加減で蘚と肥やしのくだりを読んだりすると思わず声を上げて笑ってしまう自分という読者を発見したりもしました。
ええと、前置きが長くなってしまいました。ゴタクはこの辺にしまして、ここからツアーのレポートを綴っていきます。
もう、いろいろありすぎて、どこから書いていいのかわかりませんので、芸はありませんが、時系列に並べていくことにしました。いろいろ混同している箇所もあるかもしれませんので、なにか致命的な箇所がありましたら直しますのでコメントいただけますと助かります。
10月1日(土)正午に、鳥取駅にツアーのみなさんが合流し、岩美町のバスにみんなで乗って、岩美町公民館に向かいました。今回、全国から募ったツアー客は、40名ということでした。
13時頃には岩美町公民館に到着し、荷物を控え室に預けてから、イベント会場のホールに入りました。だいぶにぎわっていました。後で新聞記事で知ったところによると、160名くらいこのホールに集っていたようです。
適当にパイプいすに腰掛けてしばらく待っていると、イベント始まりのご挨拶が始まりました。

はじめは、榎本岩美町長による開会のご挨拶。尾崎翠生誕120周年ということで、今回のイベントを開催したこと。そして今後も尾崎さんをどう顕彰していくか、町としても検討していくこと。今井出版から尾崎翠フォーラムの成果でもある「”尾崎翠を読む”全3巻」を発行してもらい、岩美町としても、町の「宝」ができたことがたいへんうれしいこと。併せて、岩美町が「別冊宝島」の企画で田舎暮らしをしたい町のナンバー1に選ばれたことにも言及し、福祉と教育が行き届いたことが評価されたのではと、このことを光栄に感じていること。ゆくゆくはツアーにこられているみなさまにも、よかったらこの岩美町に移住されてはいかがでしょうか、とアピールして挨拶の結びとされてました。
ひきつづいて、芥川賞作家の村田喜代子さんのご講演が始まりました。タイミング悪く、諸々ご用を足されているタイミングでご登壇の声がかかったみたいで、1〜2分程度間が空いてしまいました。その間、浜野監督が場をつなぐというアクシデントもあったりしましたが、講演の方は、そんなに待たせることもなく、始まりました。
講演のお題目は「筋骨と花束」。尾崎翠の小説を初めて読んだとき、自分と似たような発想があちこちに多くてたちまち親近感が湧いてきて、まるで「花束」をもらったような気持ちになったこと。そして、第七官界彷徨を読んでいると、そこに懐かしいお婆さんの香りが漂うのはなぜなのか。尾崎の年譜をたどってみても、そこにお婆さんの影はないのに、なぜかそれをしきりに感じるのはなぜなのか。村田さんご自身の生い立ち(自分が姉で下に弟が居られる)と比較しながら、それは尾崎自身が「自分には成れないもの」を、作家としての強い意志力と文体で、描きあげたものではないか、と推察できること。そして、そこが、今回の演題の「筋骨」でもあって、執筆当時は昭和6年という満州事変が起きたり、あわただしい時代の空気であったにも関わらず、尾崎さんは自分の文体で、現実をねじ伏せるかのように「第七官界彷徨」を書き上げてしまったことに、作家として、ものすごい「筋骨」を感じるとのことでした。また、尾崎さんのアゴの張った風貌にその意志の強さを感じるとのことでした。
それと、村田さんの小説作品「鍋の中*3」と「ルームメイト*4」はもろに尾崎翠に触発された作品であることを、作者自らアピールもされてました。この件メモしました。あとで上記の作品を買うなりして、読んでみようと思います。
講演に引き続き、今度は、女優吉行和子さんと映画監督浜野佐知さんとの対談に移りました。浜野さんが対談のナビゲータと言うことで、話の内容は主に映画版「第七官界彷徨尾崎翠を探して〜」「こほろぎ嬢」2本にまつわる収録のエピソードが中心でした。どちらの映画も、限られた予算の中で、大女優でもある吉行さんから、物心ともにもの凄い援助をときに受けながら製作されたものであることがよくわかりました。特に第七官界彷徨の最後で、鳥取砂丘の名所「馬の背」で5人のキャストが揃い踏みするシーンでは、空撮しようにも、ヘリコプターをチャーターする予算が足りなくて、やむなくカンパを募ったところ、予想外のカンパが吉行さんから寄せられたことなど、よい映画を創るということは、経済的資源と人的資源、そして何よりもまごころが寄せられることでもあるんだな、と思い、感慨深いものがありました。
それと、この対談でふれられていた岩美町の名店「くいもんやさざなみ*5」は海の幸がおいしそうなので、後日立ち寄ってみようと思います。
対談に続いて、残りの午後の時間は映画鑑賞でした。「第七官界彷徨尾崎翠を探して〜」新編集版の上映でした。もっとも、自分にとっては、この映画を観るのは今回がまったく初めてです。98年初封切の当時は観る機会がありませんでした。なので、みるものすべてが新鮮でした。どのシーンも事前に読んでいたちくま文庫尾崎翠集成」上下巻本にでてくる代表作「第七官界彷徨」と、そして年譜と書簡にも現れてくるエピソードが盛りだくさんで、下落合の下宿先で林芙美子さんを交えながら「海国的な歌声を」披露したり、鳥取帰郷して断筆後の1941年、日本海新聞の記者から執筆依頼を受けたりするシーンなど、すべてがいちいちテキストで読んだ記憶とびんびんリンクしてくるので、納得すること頻りでした。
映画鑑賞を終えると、今度は、会場を渚交流館に移して、夕食イベントです。この渚交流館、個人的にも今年の春に手前の国道9号線をマイカーで通過してたときに、目に入ってきて、いろいろ気になっていた物件でもありました。そのうち、休みの日にここでカヌー借りたり、ダイビング機材借りたりしてみたいな〜などと思ってたりしてました。それだけに、今回、この会場を案内されて、ちょっとびっくりするものがありました。
交流館のホールに入ってみると、丸いホールの両端テーブルに地元の海の幸もりだくさんな食材が並べられ、そして中央は目抜きでキャンドルが二列並べられており、その先には、舞台と金屏風がありました。いったいなにをご披露するんだろかと思いながら、ビールを飲んだりして会場の様子を眺めていました。

まもなく献杯のあいさつが始まったので、またビールをぐいと飲み干して、そして、岩美町ご自慢の海の幸もりだくさんのオードブルに舌鼓を打ちながら、適当に歓談してました。オードブルは、いろいろ地元の巻き貝の刺身、エビ、イカ、とうふちくわ、梨(二十世紀)等々みんなおいしいものばかりで、みんなで夢中になってつつきあっていました。

また、地元の民宿NOTE*6のオーナー小林さんご提供による、尾崎翠にちなんだご料理も提供されました。「アップルパイの午後」にでてきた、そのものずばりアップルパイと、「第七官界彷徨」にでてきた焦げた味噌汁なるものでした。ずっしり濃厚な味噌のなかに根菜輪切りやキノコが入っていて、酔っぱらった胃袋には、実においしく、ありがたい味噌汁でした。ご提供感謝申し上げます。

併せて特別イベントと言うことで、地元のアーティストKEiKO*萬桂*7さんによる墨絵のパフォーマンスご披露がありました。ホールの中が溶暗になり、中央目抜きにならべられた二列のキャンドルに灯がともりました。ほの暗い光の中を萬桂さんが赤い華やかな和服姿でご登場します。刷毛を手に取り、舞台の上に置かれた金屏風に一心不乱になって描き始めます。BGMは「テルーの歌」ほかジブリ系の親しみやすい曲目が延々流されたように記憶します。曲に合わせて、たちまち幻想的な絵画が金屏風に仕上がり、会場は拍手に包まれました。絵はかなり抽象的なもので、ことばでは説明しがたいものですが、傍で観てて、幻想の世界を心地よくさまようような味わいがありました。

引き続いて、フリートークということで、尾崎翠フォーラムに関わられたスタッフ様を中心として、順番に、まさに自由なフリートークが繰り広げられました。土井淑平さん、佐々木孝文さん、村田喜代子さん、浜野監督、山崎邦紀さん、木村カナさん、ツアー客としてご参加されてた作家木村紅美さん、民宿NOTEの小林さん、ツアー案内の西尾さん、西法寺山名住職(自宅で思い出す限りの面々ですが)でフリートークを楽しみました。ただ、自分自身ビール飲むことに夢中だったので、メモをまったくとっておらず、なにをトークされてたのかは、残念ながらほとんど覚えていません。特に、土井さん、佐々木さんは、尾崎文学を読む上で、けっこう重要なことをトークされてたような気がします。もしどなたかメモを残して居られたら、どこかにひとことでもアップしていただけると、嬉しかったりします。
そうだ、唯一思い出したのは、山名住職が生前の尾崎さんが、モダンな和装や洋装をまとっておられたことを回想されてた件で「彼女は口から煙をいつも吐いてました。たばこです。当時たばこを吸う女性はかなり目立ちました。いま思うと、『あなたは何者?』と訊ねておけばよかった」と回想されていたのが、面白くて、そこだけ印象つよく覚えています。
この宴会を最後に、まずひととおり、1日目のイベントは終了になりました。21時ころだったと思います。またみんなでバスに乗って、岩井温泉ゆかむりの公共浴場に移動し、つかの間の温泉入浴で汗を流して、またあわただしく、旅館(民宿:かまや&さんげんや)にむかいました。旅館でも今回の翠さんツアー客様限定の二次会ということで、おのおの自己紹介を楽しんだりしました。
それぞれ自己紹介に耳を傾けていると、40名の参加者のうち、半数近くが、東京や大阪など、都会から来られている方ばかりだった印象ですね。映画や雑誌に関わっている方も多くて、おそらく、今回、この鳥取尾崎翠から得られたエキスを、これから都会に持ち帰って、いろいろな記事や作品等へ反映されるのだろうなと思うと、わくわくするものがありました。
酔っ払っているうちに、いつのまにか眠ってしまいました。
そして2日目、10月2日(日)は、いきなり朝7時から活動が始まります。海の幸もりだくさんな旅館の朝食に大満足してから、浦富海岸砂浜に集合し、バスでまた移動です。2日目はゆかりの地バスツアーということで、はじめは岩井温泉の旧岩井小学校校舎、生誕地西法寺、岩井温泉尾崎翠記念室、そして温泉街はずれの平和橋にて町を360度囲む山並みを見渡しながら、初期作品「無風帯から」との符合箇所について、ガイドの西尾さんから解説を受けたりしました。引き続いて、港のある網代にバスで移動し、小学校教師をしていたときに住んでいた西法寺僧堂と、当時の通勤路だった網代トンネルを案内してもらいました。それが終わると、みんなで遊覧船に乗り、浦富海岸の奇岩奇勝を観て回りました。海も透明度がばつぐんだったし、船の周りをカモメが舞い、エサのかっぱえびせんを投げると夢中で食らいついてくる様子もたいへん絵になりました。


これら岩美町ゆかりの地めぐりをすませる頃には、時刻はまもなく昼を迎えそうになっていました。このあたりでぽつぽつ解散ということになり、昼食を終えた後は、JR岩美駅でツアーからおりる人、鳥取空港でツアーからおりる人、JR鳥取駅でツアーからおりる人、それぞれの帰路のスケジュールにあわせて、適当に解散していきました。そしてまだ時間に余裕のある人員だけで、最後にオプションツアーということで、翠さんのお骨が眠る養源寺(鳥取市職人町)にて、お墓参りしました。墓所は、寺院敷地のいちばん奥にありました。墓石そのものには尾崎家などとは彫っていたりしないので、なにも知らない観光客の方が、ほかの尾崎家の墓石と間違えたりするそうです(いまは、墓石隣に「尾崎翠の墓」という石柱があります)。せっかくなので、みんなで線香を焚いて、翠さんの御霊と各々自由に対話したりしました。本堂では山名住職から翠さんとお寺との関わりについていろいろ解説を受けてきました。翠さん手製パッチワークの子供服も残っていたので、そのモダンなデザインを見せてもらったりしました。
これでオプションツアーもひととおり終了ということになり、境内でこの奇縁を愛でながら、各々挨拶を交わしながら、お別れを惜しんだりしてました。そのとき、いきなり尾崎翠の研究者でもある森澤夕子さんもたまたま境内にぬっと現れる、というハプニングもありました。これもまた奇縁だろうなと思います。あとで論文読んでみますね。
そんなわけで、10月2日16時ころには、わたしも鳥取駅から快速列車にのり、自宅のある米子に戻りました。
今回の尾崎翠ツアーは、おそらく過去におよそ15年もの月日を費やして発表を続けてきた「尾崎翠フォーラム」の総決算のようなものなのかなと思います。これまで地道に尾崎翠さんの人と作品について研究と発表を続けてこられたみなさまにひたすら頭が下がるばかりです。ありがとうございました。

今回のツアーで岩美町様からありがたく頂きました「尾崎翠を読む」全三冊と、オプションツアーの養源寺でいただいた児童用仏教書「おしゃか様からしんらん様へ」大正6年刊の復刻本です。翠さんの兄哲朗さんも執筆されてます。みんな読みごたえがあります。