サブリミナル

昨夜,はてなブックマークからあるページを頂戴したので,ページの記述にしたがって添付のCM映像を眺めていたところ,なかなか不気味で,観ていて嫌悪感と恐怖感がつのり,その後ベッドにもぐりこんで睡眠をとろうにも,心が震えてきて眠れなくなりました。映像に潜ませたサブリミナルと,その底意と,そして,その放送年代からしてこれに関わった制作関係者はおそらくいまでも健在であろうということ。つまりすべてが現実の出来事だったということ。
こういうのは下手なつくりもの怪談よりも不気味で怖いと思います。
(参考URL:ip.tosp.co.jp/i.asp?I=koniji)

僕が5才の頃から忘れられなかったその謎のCMは、1992年から1993年にフジテレビの深夜放送で『JUNGLE』と呼ばれる番組群があり

わたし個人はこの時点でとうに成人を過ぎてましたが,この“JUNGLE”は知りません。深夜放送は,まったく観ていませんでした。したがってこの2種の映像を観たのは今回が初めてです。
いまどきの5歳って(といっても,この筆者にとっては,10年以上むかしの話だけれど),5歳の時点から深夜放送をしっかりと眺めているものなのですね。ご両親の就寝時刻と歩調をあわせざるを得ない事情があったのでしょうか。

ハート編=『エイズ感染者に対する差別意識』を見る者に植えつけるサブリミナル
人形編 =『原爆被害者に対する差別意識』を見る者に植えつけるサブリミナル

たしかにそのとおりだと思います。ていうか,サブリミナルとして扱う以前から,すでにその意図は見え見えです。
それでも,「差別意識」の助長と一点張りに言い切るには,これら映像は,解釈にはいくぶん幅がある映像だと思います。たとえば,「ハート編」の,カビてぼろぼろに壊れていくハートには,「安易な性行為は慎むように」という率直なメッセージが込められているものと解釈することもできるのではないか。そして「人形編」の不気味な「君が代」風音楽には,戦前日本の一風景を読み取ることもできるし,そして「ざまぁみろ」というセリフには当時の原爆投下国アメリカ国民側からの率直なセリフと取ることも出来るのではなかろうか。要するに,敗戦国の惨状と戦勝国のエゴとを寓話的に表現することで,人間のエゴの汚さと,戦争という行為の虚しさを訴えている。そういう意味で「反戦的な」メッセージが込められた映像,と解釈することも可能ではないかと思われます。
そもそもの制作関係者としての意図は,むしろ常識的な範囲内からのものではなかろうか。

なんでも、当時フジテレビの一部に頭のおかしい人達が居て 東京HIV訴訟原告団がこの映像についてフジテレビを訴えそのおかしい集団が居なくなってから

たしかに,これは明らかに制作関係者の致命的ミスです。もちろん,エイズは性行為媒介に限らないわけで,薬害エイズのような不条理の産物といっしょにしてはいけません。
要するに,エイズに対する「嫌悪」,戦争と敗者に対する「嫌悪」を率直に綴っているこれら映像は,価値観の一方的な植付けになるわけで,「差別意識」に転化し得ます。ましてやそれを「サブリミナル」な手法で公共の電波に流してしまっていた,ということはかなり重いです。
ただ,そもそもの制作の意図は,わりかし「常識的な」範囲内からのものだったので,その表現手法としての正当性には,十分な意を払う機会が無いまま,一年もの期間ONAIRし続けてしまったというのが実情ではないかと想像してます。
まあ,しかし,

地上波のフジテレビが過去にこんなサブリミナル映像を毎日放送していたなんてどう思いますか?
しかもよりによってまるで大事な思い出かのように幼稚園生の頃からずっと忘れられなかった映像の正体がそれだなんて・・・・・

5歳の柔らかい脳髄に植え付けられてしまったこの不気味な映像は,忘れたくても忘れられないことでしょう。この2種の映像はなによりも作品としてかなり不気味で強烈です。激しく「嫌悪感」「恐怖」を助長します。夢のあいまいさと生々しさにも共通するものもあります。とくに,真夜中にうすっくらい部屋にこもって,一人でプロジェクタを眺めていると,かなり怖いです。背筋がぞくぞくと寒くなりました。