日録

降雪あいかわらず。予想どおり早朝は雪かきから始まりでした。駐車スペースのお車が雪に埋まってました。エンジンをかけて、車を暖めながら、その傍らで、駐車スペースから道路へうまく脱出できるように雪かきをする。ある程度導線ができあがったなというところで、運転席に腰かけて、アクセルを踏んで、車を走らせる。ところが、タイヤが雪のわだちにがばっとはまってしまって、身動きがとれなくなってしまった。
「スタック祭り」とはよく言ったものです。タイヤがわだちにはまって前進しようにも後進しようにもにっちもさっちもいかなくなると、普段付き合いの全くない隣の家のご住人様が玄関をガラリとあけて出てきて、「車をおしてやろうか?」と手助けしてくれます。思いがけない心の触れ合いが、ここではじまります。これが「祭り」でなくて、なんと他に言いようがあるでしょう。地区の盆踊り祭りはいわゆる少子高齢化なんとやらで廃れたとしても、真冬のドカ雪襲来は今後とも消えることはありません。雪の支配が、逆にコミュニケーションを引き締めてくれる。ありがたいことです。
おかげさまで、始業時間までにもオフィスにたどり着くことができました。
日中も、相変わらず雪が降り続けましたが、夕方には、少しずつ降る勢いが弱まってきているようです。天気予報の方も、この夕方から降雪が弱まる見込みということで、ひとまず胸をなでおろしているところです。ただ、今夜から冷え込みがすごいということなので、凍結を気を付けないといけないです。
身体を冷やさないように寝なくちゃです。おやすみなさいませ。

日録

降雪すさまじ。明け方になってひさしの上をなにかがざあざあ滑り落ちる音が激しいので、もしやこれは、と思って窓を開けると、ものすごいドカ雪になっていました。深さにして30cm以上で、膝下まで埋まるくらいはありました。
正直、自動車で移動するのがたいへんで、わだちのあちこちでいつスタックするやら、ハンドルを握る手にも緊張感を強いられました。オフィスに到着するまで、いつもよりも倍以上の時間がかかりました。
それだけではおわりません。日中も延々振り続けたおかげで、夕方18時以降の帰宅時も、朝以上の難路になってしまっていました。いつもよりも3倍以上の時間がかかりました。
今夜もまた降り続いているので、まだまだ要注意です。明日早朝は雪かき作業から始まりそうです。
このはてなダイアリーの方はしばらく書かないうちに、いつのまにか新年をはるかに通過してしまっていました。この次また書くのは、2月になるかなとそれとも3月になるのか、すべては気分次第です。というところで中身はとくにないまま、寝ます。おやすみなさいませ。

日録

晴天時々雨。大山の方はすっかり白くなっているので、米子の下界に雪がちらつくのも近いですね。スノータイヤには先日12月3日の時点で交換済みです。年末年始の日程はまだ決まっていません。フェリー運航のタイミングと合わせづらいので、どう調整していくか戸惑っています。今週中には決めてしまおう。おやすみなさいませ。

日録

曇天時々晴天。主に自宅で過ごした祝日でした。昼間に米子駅にでかけて少しばかりの上京予定を定めていました。ひさびさに東京を出歩きたくなったので、19日の週末に予定を入れてみたのですが、すでに山の手線周りは、ホテル(ルーム付き)が取りづらい状況になっていますね(祝日と隣り合っていないのだが、なにかのイベントと重なっているのだろうか)。まあ、いいです。仕方がないのでカプセルでごろりと横になることにしました。寝るだけのことなので、これで十分です。ついでに来年2月の投宿先も早々と決めてしまいました(こっちはちゃんとルーム付きが取れました。やはり早いことはいいことです)。考えてみればすでに11月なので、年末年始のスケジュールも決めてしまわないとダメですね。公私共にバタバタしそうでございます。
手術した傷口もようやく絆創膏が取れ、今日辺りからお風呂にも入れそうです。シャワーだけでは温まらないです、やはり湯船に浸からないとです。併せて、今週末辺りからはプール通いも再開できそうです。焦らず慌てずやっていきましょう。おやすみなさいませ。

日録

晴天のち曇。空気が冷える日々。明け方に大山を眺めてみたら、頂きのあたりがうっすらと白くなっていて、鳥取もけっこう冬が早いのだなと思ったりしてました。18時でオフィスの方を〆て飛び石連休を過ごします。おやすみなさいませ。

抜糸〜骨折ブログ最終回

曇天。10月19日の抜釘手術を経て、13日目本日11月1日にようやく抜糸処置を終えました。この辺で骨折ブログのエントリーも最終回にしようと思います。
午前9時に整形外科の処置室に案内され、ベッドに横たわる。絆創膏を剥がして患部を確認。ハサミで糸を切り、ピンセットで糸をつまんで引っ張り出す。ほとんど痛くなく、むずむずしているような感覚だけで終了でした。
主治医言う「これで(通院は)終了です。今後は、もしなにか気になるところがでてくるようでしたら、ご連絡ください」主治医のこの一言をいただけて、正直、ああ、ようやく一段落ついたんだなと感覚がしました。言われて、左足も急に軽くなったような気もしました。そのまま、スタスタと病院内を歩いて、本日の診療費を精算して、同日午前10時半までには、オフィスに戻っていました。平凡な日常生活に戻れたということが正直嬉しいことでございます。
とはいえ、抜糸しても手術した傷跡はケロイドになってしまって、ぷっくらふくらんだままだし、足を曲げるとまだまだ皮膚が引っ張られたような感じがしているので、正直、膝を曲げることがまだまだ難しい状況です。畳の上にべたっと座って、正座できるようになるまでは、まだまだ月日がかかりそうです。
それでもここまでくれば後は時間の問題だと思います。毎日キビキビと歩いて運動を怠らないようにしていればどんどん回復してくれそうな手応えをつかんでいます。
足の骨を折ってしまうと、シャレにならないほど痛いうえに、まともな生活ができなくなってしまいます。初めのうちは、けっこう絶望的な気持ちに追い込まれたりしますが、それでも、時間をかかりますが、確実に治ります。あきらめずに日々をやり過ごしてください。そして、二度と同じ怪我をしないよう注意して過ごしていきましょう、という教訓を導き出したところで、このエントリーは最終回とします。
最後にこれまでの経緯をまとめます。
・2015年3月15日 事故当日のこと
・2015年3月16日 入院のこと
・2015年3月25日 髄内釘手術のこと
・2015年4月 9日 事故から退院にいたるまでのまとめ
・2015年7月24日 ようやく全荷重での歩行開始
・2016年10月22日 抜釘手術のこと
重要なことは上記6エントリーですが、タグ『broken_bone』をクリックしていただければ、骨折に関連する一年半の経緯すべてのテキストをまとめ読みすることができます。ブログってほんとうによくできています。
それでは。

日録

曇天。足の調子もまだまだ本調子とは程遠いこともあるし、それと倉吉での地震の今後の行方についても先が読めないので、こういう日は、静かに休暇に徹しているに限ります。軽く買い出しにでかけてみただけで、もっぱら自宅まわりで静かに過ごしていました。余震も一日中ほとんど感じることもなく、静かな一日だったと思います。月曜日からはまたオフィスに出るので早めに寝て備えていきます。おやすみなさいませ。