残念なこと

つい先日、わたしの部屋の隣人が自裁されました。壁一枚隔ててすぐ隣の部屋のバスルームにてです。
10月1日(月)午前中、彼がいつまでたっても職場に出勤してこない、携帯に電話をかけても出てこない、これは様子がおかしいと察したので、管理人から合鍵を借りて玄関ドアに差し込んで中を開けて見たところ、バスルームの中では、すでに事切れていた模様です。すぐに救急車を呼んで蘇生をほどこしたものの、硬直が始まっており、すでに手遅れでした。死亡推定時刻は9月30日(日)22時ころ。死因は練炭によるCO中毒。バスルームのドアの隙間はもちろん、玄関のドアの隙間にいたるまで、すべてがガムテープで目張りされていたとのこと。遺書は無く、直接の意図は不明のままとのことでした。ただ、昨年の夏から抑うつ状態があり、心療内科に通院されていたとの話を聞きました。とはいっても、これが直接のスプリングボードだったかと断言できるというわけではありません。
残された者としては、やはり後世への「記録」として何かを書き残す義務はあると思います。したがって、事実を知った当日からログとして書こうと迷い無く決めていました。だが、言葉は慎重に選ばなくてはなりません。気持ちの整理がつくまでおよそ一週間の時間を要しました。
かくいう自分としても、すぐ隣の部屋での出来事です。厚い壁に隔てられているとはいっても、物理的にはほんの3〜4mの近距離での出来事です。事実を知ったその晩は、心がまったく動揺してしまい、よく眠れませんでした。
彼が亡くなられるまでの、一週間の出来事を、出来うる限りさかのぼって思い出して,以下に記録します。もちろん故人のプライベートをそのまま書けるわけはありません。故人の隣部屋の住人として過ごした「自分自身の行動記録」です。
こうして、いま思いだすと、亡くなられる2日前に「兆し」があったのではと推定します。
それだけに痛恨の思いです。
以下書き綴ります。

【9月23日(日)】 
18:00 郡山市にて飲み会。したたか飲む。
22:30 郡山発最終電車にて帰宅。
23時頃 白河着その後寄り道しながら帰り道辿る。
【9月24日(月:祝日)】 
深夜0時頃帰宅。就寝。
午前3時から午前5時の時間帯に,ふと尿意を催し、目覚める。昨夜の飲みすぎのため頭痛が激しくて,自分でもあきれるほどの,大きな叫び声を出してしまう。声が隣部屋に響いてしまったのではないか、と我ながら心配になる。そのうち次第に疲労して来たのでふたたび就寝。
同日正午近くまで寝る。宿酔ようやく抜ける。その日は自宅にて読書等をしながら静かに過ごす。
【9月25日(火)】 
出勤。朝から夜まで通常どおり過ごす。
【9月26日(水)】 
出勤。風邪気味ながら,朝から夜まで通常どおり過ごす。
夕方,合唱練習参加予定だったものの,風邪のため身体がだるくて、参加断念する。自宅にて静養する。
【9月27日(木)】 
出勤。朝から夕方まで勤務。
19時より、10月1日付転勤者の送別会参加。ふたたび飲む。
22時頃、帰宅。就寝。
【9月28日(金)】 
深夜。午前3時から午前5時の時間帯。ふと尿意を催し,目覚める。前日つい飲みすぎてしまったために,再び頭痛に見舞われる。がんがん痛いので,思わず叫び声をあげたくなる。
しかし,そのとき,「壁」向こうの隣室から,長々とした独り言と,すすり泣くような声が聴こえてきた。「壁」を隔てていたので,声がくぐもってしまっていて,その内容を,明瞭に聞き取ることは不可能だったが,ただ,それがかなり「ネガティブな調子」であることは感じ取れた。
そして,足音がどたどたと聞こえてきた,トイレと自室とを何度も往復しているかのようだった。トイレの水をざあざあ流す音が何度か聴こえてきた。タンクにやっと溜まったかと思えばまた歩いていってレバーを下ろして流すのを繰り返す。一度や二度では無かった。
そのとき,一瞬だけ,これは「妙だな」と思った。しかし,このときは,自分も宿酔のため頭が痛くて意識が朦朧としていたこともあったので、もしかしたら,彼も何かで飲み過ぎたのだろうか,などと考えただけだった。
頭ががんがんと痛むのをこらえながら,その暁闇を,おとなしく寝転がって過ごすことにした。そのうち,疲れてきたので,また眠ってしまった。
そして,夜が明けてからは,通常どおり出勤。
その日の勤務も朝から夕方まで通常どおりやり過ごした。睡魔には何度も襲われたが。

  • いまになって思うと,上記「暁闇の時間帯」に,故人の内面で「何かが」起きていたのではないか、感情のバランスを崩しておられたのでは、と思われてなりません。

【9月29日(土)】 
合唱コンクールのため,早朝(5時30分頃)起床し,青森に向けて出かける。
19時より懇親会。この日は軽く飲む。その後青森市のホテルにて1泊。
【9月30日(日)】 
日中。青森市にてコンクール本番を迎える。
16時頃乗合バスにて青森市撤収。
23時頃郡山市着。
0時頃自宅到着。深夜に青森からようやく帰宅。パソコンを起動させてブログ更新をやったりした。興奮さめやらぬまま就寝。

  • 故人の死亡推定時刻は30日22時頃だったから,この時点で,「壁」一枚を隔てて,自分から物理的距離にしてすぐ3〜4m離れた場所では,故人の肉体が、抜け殻になって横たわっていたことになります。そして,その傍らで,自分は何も気がつかずに,パソコンのモニタを眺めながら,ブログ更新していたりしました。改めて思います。「壁」というのは残酷なものだと。

【10月1日(月)】
出勤。悲劇が明らかになる。