本日の読了

長英逃亡〈下〉 (新潮文庫)吉村昭新潮文庫)」下巻は,生地水沢への短い帰省,米沢,会津,宇都宮,江戸再潜伏,宇和島藩に請われて東海道を西進し宇和島潜伏,広島,そして再び江戸潜伏,顔を薬で焼き人相を変えて”沢三伯”を名乗り医師として生活,しかし高野長英であることがとうとう奉行所側で発覚し突然のガサ入れを受け,その波乱の生涯は悲劇的末期に至る,までのあらすじです。これら長英の悲劇というのをざっと読み通してみて,なんとも,生まれた時期が悪いというのか,いや,良かったともいえるが,ちょっとだけ生き急ぎすぎたために,為政者に受け入れられるタイミングを逃したのかなと言ったほうが良いのかもしれないですね。タイミング悪いことに,長英が破獄を犯したたった2ヵ月後に,蛮社の獄をとりしきった南町奉行所鳥居耀蔵目付(大の蘭学嫌い)が失脚し,そして蘭学が堂々と受け入れられる時代が再来するわけですが,しかし,破獄という重罪を犯した長英には,晴れて帰る場はもう無いわけで,長英自身も,もう2ヶ月我慢して牢獄で暮らしていたら,何もしなくても娑婆に出られたのに,と自身も落胆する。やむなく,逃亡生活を続け,その潜伏先で,西欧の兵学書の和解(=翻訳)を続け,身銭を稼ぐ日々が続く。長英の翻訳能力というのは,同時代の誰もが一目置くほどのものだったそうで,逃亡中の罪人という身にもかかわらず,宇和島藩に請われて,宇和島の地で,兵書を翻訳。宇和島では妻子を設けるほどの破格の待遇ぶり。要するに,大学者として”認められていた”存在だったんですね。だけど犯罪者としての烙印は消えるわけでもないわけで,傑出した語学力を請うて潜伏を受け入れた宇和島藩としても,これだけの大人物を受け入れながら,心中どれだけ複雑な思いだったのだろうかと察せられてなりません。
要するに,「反権威でありながら」「己を貫く」というのは,時には,こういう悲劇的なかたちになってしまうこともあるというわけなのですね。
話しは前後飛躍になるが,ついこの間,受賞者が選定された”安吾賞”の定義をふと連想してしまいました。権威におもねることなく真実を貫く。果たして安吾賞というのは,そもそも存命中の人間に与えられる賞なのだろうか。本来は,没後何十年を経て,その真実を貫いた人間像が正しく評価される時期が到来しないと,そもそも選びようが無いものなのではなかろうか,などと,考えてしまいます。むずかしいものでございます。長英の生涯を読みながら秋の夜長の独り言でした。
しかし,上巻下巻とも逃げつ追われるのスリルにみちみちていて,そして地誌と隠れ家についての細かな描写も豊かで,小説として読んでて飽きさせないですね。はまりにはまって読んでしまいました。
今度,休みの日にでも,米沢の長英隠れ家でも見に行ってみようかな*1