手術日のこと

事故当日の記録と比べると、入院日以降のログ起こしは、新鮮味が弱いし、なんだかゆるい感じになってきてますが、それでも後々同じような怪我をされて、そのとき検索してここにたどり着く人のために、できるだけ事実に沿って書き残しておきます。
○3月25日に至るまで
とにかく寝たきりの日々でした。3月16日に鉄針をかかとにぶっ刺して、おもりで牽引しつづけて以来、ベッドの上で9日待つことになりました。
病室での一日のスケジュールといえば、朝6時起床(部屋の明かりが点く)→7時朝食→9時 体温と血圧測定→10時 看護師が身体(おシモも含む)を拭く→12時昼食→18時夕食→22時就寝。このルーチンをただただ繰り返すだけで、かなり退屈な日々でした。
koboに仕込んだテキストを黙々と読み続けていたので、気はだいぶ紛してましたが、それでも、ぶっ続けで心底夢中になれるとも限らないので、途中で端末を枕元に置いて、窓の外の桜を眺めてボーッしていることも多かったです。
○3月25日 13時
予定の手術日時を迎えました。ベッドに固定されたまま、キャスターをごろごろ転がして、手術室まで運ばれました。手術台の隣に横付けにされる。
「台の上に移ってほしい」との指示受ける。両手と右足とをなんとか使って、仰向けのまま手術台に乗った。
そうこうしている間に、主治医ほか看護師4名くらいが粛々とオペの準備を進めてゆく。胸の上には、白いタオルの垂れ幕がぶらさげられて、視界を遮っている。足下の様子がどうなっているのか、自分の目で見ることはできない。リンゲル液の点滴、血圧計、心電図のパッチやら身体中にいろいろ取り付けられる。
「これから(腰椎)麻酔を打ちますので、横になって背中を曲げてください」
ええと、腰椎麻酔なんて初めてだぞ。腰椎、ということは背中の背骨の隙間に針をぶすりと刺すんだよね。そんなのいかにも痛そうだな、と予想してましたが、案の上痛いです。
「針が刺さりました」
「イタタタ!」
「痛くても、背骨を動かさないでください」
「口では(痛いと)叫ぶけど、がんばるんで、どんどんやってください」
「いま薬を入れました」
「ぉぉぉぉぉぉぉぉ(←意味不明の叫び)」
「足がほかほかした感じ、しませんか?」
たしかに、腰から下がほかほかした奇妙な感覚に包まれている。
「あれれ、ほかほかしてますね。不思議ですね」
「麻酔が効いてきましたね」
みるみるうちに腰からしたの触覚が消えてゆくのがわかった。
「バルーンカテーテルを入れます」
・・・え? それって尿道に管を差し込むの? 気持ち悪そう。
尿道周りを3回消毒しましたら、差し込みますよ。我慢してください」
「ハイ」
言われるままにするほかない。3回消毒してすぐに、カテーテルは手慣れた手つきでブスリと一気に差し込まれた。この、尿道の奥へ奥へと管がずぶずぶとメリ込んでいくときの感覚の気持ち悪さったら! 
それでも、この、バルーンカテーテルを差し込んだ時点で、おおよそオペの準備作業はおわったようです。ここからは、マナイタの鯉というたとえ通り、主治医の執刀に身を委せるだけでした。
足下はタオルに遮られて見えなかったが、主治医がドリルやらハンマーやらを左足に突き刺して、ぐりぐりやったり、トンテンカン叩いたりしていた(ように思う)。手術というより、日曜大工のような硬質な音響が室内に鳴り響いていた。とはいえ、麻酔のおかげで痛みはなにも感じないし、意識ははっきりしている。自分の足が内側からがんがんいじられまくっているのに、それを他人事のように受け止めている自分もここにいる。不思議な感覚でした。
約3時間の手術は無事終了。まだ麻酔が切れないので、下半身はぴくりと動かせない。そのまま5体を胴上げみたいに持ち上げられ、手術台から、もとのベッドに移された。ふたたび元の病室にもどされ、一晩安静することになった。
あの気持ち悪かったバルーンカテーテルは取り付けられたまま。左腕には抗生剤と痛み止めの点滴。両足にはエコノミ症候群予防のためなのか自動マッサージ機みたいなのが噛みついていて、もみもみぴくぴく稼働していた。なんだか落ち着かなかった。また、予想はしていたものの、麻酔が切れてくると、鈍い痛みが始まってきて、安静に眠ってられる場合ではなくなってきた。