何の脈絡もなく思うこと

金や銀とか言う貴金属というのは、一度地中から掘り出されれば、貨幣とか装飾品とか食器とかに化けて、人類の欲望のために供されることになっている。したがって、一度加工されてしまえば、よほどのことがない限り、再び土となることはないと考えていいことになる。ということは、有史以来世界あちこちの鉱山から掘り出されたそれら金や銀は、その9割近くの分量は、地上のどこかでいまだに何らかの目的を背負って供用されていることになる。特に金の方は、100%近い割で地上のどこかで蓄積されているのではないかと思われる*1。ところで、日本は戦国時代の頃、世界最大の銀産出国だったということになっている。もちろん石見銀山のことである。あの石見の山から掘り出された銀が、大洋を超えて、はるかヨーロッパまで運ばれて、銀食器として加工されたりしたのかもしれない。ということは、21世紀現在、西洋アンティックショップとかで、ヨーロッパ中世の頃に作られた銀食器を買うということは、当時石見銀山で産出された銀を買っているということにもなるのかもしれない。別にアンティックでなくても、その辺のシルバーアクセサリーショップで売られている銀製品だって、元の銀はどこから流れて来たのかはわからないわけで、もしかしたら不用品を精錬しなおしたりして、実質的には何世代にもわたって、時を越えて流れてきた銀なのかもしれない。その中に当時の石見の銀が混入しているかもしれないと考えることもけっしておかしい話ではないように思う。こういうことを考え出すと、ひとかけらの金銀にも何世代にもわたって、人間の複雑な情念がまとわりついているように思われてきて、うっかり粗末に扱おうものなら、その日の晩に枕もとになにかぼーっと現れるのではないか、そんな気がしてくる。
究極の独り言。以上。何かを導き出そうとはして書いてないです。漠然思ったことを書いて現実逃避してるだけです。

*1:逆に考えてみて,金が地上から紛失されるというケースは,どういうことが想定されるか。ここでは,仏像の表面に金箔として貼り付けられたものが風化して飛び散るとか,船が金塊ごと沈没してしまい深海の中に眠っているとか,というケースを想定するのである。