スタブローギンの告白の章からメモ

[さきまわりすることになるが,わたしはもうひとつここで注釈をくわえておきたい]/わたしの考えでは,この文書は病気のなせるわざ,この人物にとりついた悪霊のなせるわざである。はげしい痛みに苦しんでいる人間が,ほんの一瞬でも苦痛を軽減できる姿勢を見出そうとして,ベッドの中でもがきまわる姿に,これは似ている。軽減できないまでも,せめて一瞬なりと,以前の苦痛を他の苦痛で置き換えようとするのである。こうなるともう,当然のことであるが,その姿勢の美しさとか合理性とかは問題にもならない。この文書の基本思想は,・・・罰を受けたいという恐ろしいばかりの,いつわらぬ心の欲求であり,十字架を負い,万人の眼の前で罰を受けたいという欲求なのである。しかも,この十字架の欲求が生まれたのが,ほかでもない十字架を信じない人間のうちにであったこと。・・・「これだけでもすでにれっきとした思想ですよ」とは,かつてステパン氏が,もちろん,別の機会にではあるが,いみじくも喝破した言葉である。

これまでの生涯にすでに何度かあったことであるが,わたしは,極度に不名誉な,並外れて屈辱的で,卑劣で,とくに,滑稽な立場に立たされるたびに,きまっていつも,度外れな怒りと同時に信じられないほどの快感をかきたてられてきた。これは犯罪の瞬間にも,また命に危険のせまったときにもそうなのである。かりにわたしが何か盗みを働くとしたら,わたしはその盗みの瞬間,自分の卑劣さを意識することによって,陶酔を感じることだろう。わたしは卑劣さを愛するのではない(この点,わたしの理性は完全に全きものとしてあった),ではなくて,その下劣さを苦しいほど意識する陶酔感がわたしにはたまらなかったのである。・・・

これもまた,人の性なのでせうか。
なんとも,ただ,スタブローギンという人物は,このように自分にとりついた「悪霊」を追い払えないものか,煩悶もしているようです。

「聞いてください,チホン神父。ぼくは自分で自分を赦したい。これが僕の最大の目的,目的の全てなのです・・・そのときにはじめて幽霊が姿を消すだろうことを,僕は知っています。だからこそぼくは,無制限の苦しみを求めているのです。自分から求めているのです。僕を脅かさないでください。さもないと,僕は悪意のうちに滅びるでしょう」

この煩悶,いかにもたいへんです。読まされるほうもたいへんです。
お互い,もっと「難しく考えないで」「さらりと」「軽く」「受け流す」ことって,できたりしないのだろうか。日本語圏だけという枠内で考えるならば,一億何千万の人口のうちの一人の人間の頭の中で考えていることでしかないのだから,世間のほかの誰もそんなこと深く意に介してないってば。誰もが自身のことだけでただただ忙しいのですから。
・・・とはいうものの考えてしまう。これもまた性なのだろうか。
まさかMではないだろうが。