本日の読書

心が雨漏りする日には (青春文庫)「心が雨漏りする日には(中島らも著,青春出版社)」らもさんの躁鬱気質は父親譲りとのこと。著者によると,父の世代では,躁鬱に関する知識が浅かったので,はっきりしたことはわからないのだが,どちらかというと”躁”の方が多かったとのこと。少年期のらもさんが,たまたま落書きした絵を見ては,何の前提もなく「おまえには横山大観並みの才能がある」とか真顔で言い出したりすることは日常茶飯事だったとのこと。
とてつもなく笑えたエピソードは,これまた何の前触れもなく「自宅の庭にプールを造る」と言い出し始め,そしたら本当に自宅庭をスコップで「一人で」掘りはじめ,セメントを流し,排水溝を設置したり,黙々と作業すること,約一週間を経て,ほんとにプールを造りあげてしまったとか。
奇想天外な発想を,実行に移してしまうあたりは,なんとなく,安吾さんのカレーライス百人前発注事件を髣髴としますな。
著者自身による躁鬱のエピソードも,痛々しいけど,過激なユーモア盛りだくさんで,何度も吹き出してしまいます。躁による理解不能な行動言動と周囲の顰蹙,鬱によるマイナス志向の連発と自殺願望そして幻聴幻覚。腹の底から笑って良いものか良くわからん世界です。おそらく,並みの人による文章だたら笑えません。
ともかく,らもさん,変なことはいっぱい書いた人ですが,根はほんとにまじめで,責任感が強い人間ぽいですね。30代の頃は,広告代理店に勤務しながら,劇団を立ち上げたり,エッセイを月に40本も書き上げたりで,そしてそれらがいずれも好調で,全盛期には,年間収入が三千万近くにもなったとか。それだけ実力のある人なのですよね。
ただ,しかし,そしてそれらの仕事は,迫り来る「締め切り」と戦いながら仕上げざるを得ないので,机に向かいながらの作業ばっかりで,ストレスが溜まりまくり,やはりそれがアルコール類が,手放せなくなってしまった原因の一つのようだ。そしてこの過酷な生活が,けっきょく躁鬱のひきがねの一つだったのだろうかなあと読みながらふと感じます。もちろん著者によるたくらみのひとつだとも思いますし,これがあってこそのらもさんでもありますが。

付記1:鬱に対する禁句メモ。「頑張れ」「気分転換でもしたら」「外の空気でも吸ったら気分が変わるよ」「旅行にでも行ってみようか」「根性さえあればなんでもできるんじゃい」その他精神論的な言葉等々。温かい感じで距離をおく感じがいちばんすごしやすいとのこと。なるほど。

付記2:用事があって外で人に会わなくてはいけないときは,前もって用心するようにしていた。この人はすぐになんでも精神論を持ち出してくるから,あまり近づかないようにしておこう。・・・どうしても近づかないといけないときには,あらかじめ防御態勢をとってから近づいた。予想さえしていればいくらかはダメージが軽減されるからだ。・・・

○併せてCSより先日拝領せる映画2本鑑賞。「落第はしたけれど(小津安二郎監督1929年)」「ロッパ歌の都へ行く」 らもさんとは何の脈絡もないが,本を読んだつぎの気分転換として。