背後霊についてメモ

霊の存在の有無云々については議論するつもりはまったくないし,まず興味がない。そもそも,いま自分が生きている現実のほうがずっと重要だと思っているので,目に見えない”霊”などという存在の可否については,なにをどうとか思っているひまは持ち合わせていない,というのが,正直なところです。もっぱら週刊誌のタネ程度としてしかとらえていません。ただ,過去に,床屋の待合室で,置かれていた本をふと読んでたところ,霊能力者江原啓之さんの談話記事*1が載っていて,それがなぜか記憶に引っかかっています。おおむねこんな趣旨だったのではないかと。記憶からの孫引き繰り返しているのでめちゃくちゃアバウトなのですが。

「背後霊というのは,その名のとおり,背後にいつもとりついてくれて,その人の運命を,じっと見守ってくれています。そしてその人が,特定の目的を遂行しようとがんばっている様子を,じっと見守ってくれているのです。かといって,その背後霊は,具体的に,何を導きしてくれるわけでもなくて,もっぱら黙っています。
そして本人がようやくその目的を完遂させたとき,見守っていた背後霊としても,その自らの目的も,終わったものとして,静かに去っていきます(逆に,当人が,目的遂行を放棄してしまった場合は,”見放して”,去っていきます)。
そして,今度は,また新たに目的が出来たとき,また,別の背後霊がやってきて,その運命を見守ってくれるわけです。こうしていろいろな背後霊と出会っては離れていく。人生というのはこれの繰り返しです。
ただ,目的を終えてとうに去っていった背後霊らも,ずっといつまでも離れつづけているわけではなくて,たまに,ふらりと遊びに来てもくれる。
この”たまに”遊びに来てくれる,というのがミソで,これが,人生にとって”思わぬ契機”であったりします」

といった内容だったような記憶がします。ひるがえって考えてみると,これって,霊だけの話ではないです。生身の人間同士の世界だって,おなじようなものなのでは,とふと思ったりしてます。ごく普通の,人の世をこうして寓話化して,簡潔に示してくれている。だから,こうして記憶にひっかかり続けていたのでしょうか。きっと,霊能力者という職業の本質というのは,霊というフィクションを媒介とすることで,暗に,上手に,人生を寓話化して,説いていることなのでしょうね。占い師とか,あるいははるかむかしに聖書を書いた人とかもそうかもしれませんです。
ぼんやりと考えごと,異常でなくて,以上。

*1:ISBN:4101189218 これの最後のページに載っている,佐藤愛子さんとの対談の箇所でした。背後霊ではなくて守護霊だた