なぜ安吾忌なのか

この2月17日にその参列がてら,ちょっと東京散策をする予定なのですが,そもそも,なぜ,安吾忌なのか? なぜ安吾なのか? このような質問を問われても,実は,明快に回答できる言葉は,持っていません。
ひとことで言うならば,たまたま感じやすい時期に,坂口安吾の著作を,集中的に読んだからに過ぎないということです。そしてその,八方破れで,B級チックでいて,なおかつ至極的確な文章表現力と,そしてそのジャンルを超越した作風の幅広さと,そしてそのむちゃくちゃとも言える実の生きざまとに,おおいに魅せられてしまったからであります。
要するに,そのときに出会った文章が安吾だっただけであって,これが,もし太宰を愛読していたならば,いまごろ毎年6月に桜桃忌にも遊びに行っていたかもしれないし,三島を愛読していたとしたならば,毎年11月にビシッと軍装で決めこんで,憂国忌に参列していたかもしれないw 要するにそもそものきっかけが安吾であっただけで,いまとなっては,もうそれだけのことだと思ってます。あるいは作家でなくても,歌手とかを追いかけていたりしたかもしれませんし,いや,それこそ,ズンでもよかったかもしれませんw
また,安吾は,いまとなっては,かつて「読んでいた」というだけであって,いまはもう久しく読んでいません。編めば事典一冊分にもなる明治以降近代文学者のうちの一人にしか過ぎません。ただ,いろいろ読んでいたおかげで,たまに,安吾の言葉が記憶のそこかしこについフラッシュバックしてくることがあるので,ついそのソースを確認してみたくなり,書棚の全集を引き出しては,ぱらぱらと眺めてみる程度であります。まったく,その程度の読者でしかありません。
安吾忌にこれまで2回遊びにいったことがありますが,参列しても,具体的に”何が”その場で得られるというわけでもないです。いったい何を求めてそこにいるの? 参列するの? と訊ねられても,いささか返事に窮するのみです。
しかし,あえて煎じ詰めて言えば,これは自分にとって,ひとつの”祭典”なのだ,ささやかな”マイ・フェスティバル”なのだろうと解釈しています。なんといっても,これがあるおかげで,年に1回,東京都内を楽しくぶらぶら漫遊するきっかけを与えてもらえるわけです。そして,会場の隅でぼんやりとイベントを眺めながら,だまってニコニコしているだけなのですが,それだけで,不思議と,自分の気持に”張り”が出てきます。これこそ”祭典”というものの,ひとつの効用でなくてなんと言うのでしょうか。
さいわい安吾ファンは,読者の数も多くて,そして受容年齢層も驚くほど幅広いです。安吾忌にいくと,いったいこんなにどうして? といいたくなるほど,いかにも多彩な顔ぶれが揃っていて,驚かされます。それを眺めてるだけで,不思議と,刺激を受けてしまいます。また,安吾をひとつの契機として,戦前日本の独特の文化と接するきっかけを得ることもできます。このことも嬉しいことです。
かといって,何が具体的に,その場で,すぐ,得られるわけではないのですが。・・・
最後に,安吾のエッセイ”ピエロ伝道者”の冒頭箇所を引用してみます。

空にある星をひとつ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら,君と話をしない。
屋根の上で,竹竿を振り回す男がいる。みんなゲラゲラ笑ってそれを眺めている。子供たちまで,あいつは気ちがいだね,などという。僕も思う。これは笑わない奴のほうが,よっぽどどうかしている,と。そして我々は,痛快に彼と竹竿とを,笑殺しようではないか!
しかし君の心は言いはしないか? 竹竿を振り回しても所詮はとどかないのだから,だから僕は振り回す愚をしないのだ,と。もしそうとすれば,それはあきらめているだけの話だ。君は決して星が欲しくないわけではない。しかし僕は,そういう反省を君に要求しようとは思わない。又,「大人」になって,人に笑われずに人を笑うことが,君をそんなに偉くするだろうか? なぞと訊きはしない。その質問は,君を不愉快にし,又もし君が,考え深い感傷家なら,自分の身の上を思いやって悲しみを深めるに違いないから。
僕は礼儀を守ろう! 僕らの聖典に曰く,およそイエス・ノオをたずぬべからず,そは本能を犯す最大の悪徳なればなり,と。およそイエス・ノオをたずぬべからず。犬は吠ゆ,これ悲しむべし,人は吠えず,吠ゆべきか,吠えざるべきかに迷い,迷いて吠えず,故に甚だしく人なり,と。

そうなんです。空にある星を欲しいと思ったところで,そんなものが自分の掌中に納まるはずがないことは,誰にでもわかっています。所詮虚しい夢に過ぎません。でも,なぜかしら,人は幻影を追うことを,一向に止めようとしないということ。そして,それもまた,人にとって不可欠な,営みであり,性(さが)であるということ。そのことを暗に語ってくれてる一節だなぁ〜と思います。
というわけで,マイ・ブームではなくて,マイ・フェスティバルを,5年ぶりに都内で満喫しようと思っているわけでございます。さながら,何かしら在らぬ幻影を求めるかのように,です。