17日夕刻コバケンメモ

ハンガリー舞曲第1、5、6番*1 / ショパン:ピアノ協奏曲第1番Pf.小山実雅恵 / スメタナ:連作交響詩《わが祖国》より「モルダウ」 / チャイコフスキー:祝典序曲《1812年東海大付属高校ブラスバンド共演
ハンガリー舞曲1番演奏後,コバケンさんによるおおむね下記内容のトークあり。

本日はおいでいただき,ありがとうございます。後ろの客席に座っておられるお客様にはちょっと聴こえづらいかもしれませんが*2,おゆるしくださいませ。・・・ハンガリー舞曲について,ほんの少しだけ,みなさんにお話申し上げたいと思います。ブラームスは,ドヴォルザークをとっても,愛していました。ドヴォルザークのために,奨学金を取ったり,学校を紹介したりと,・・・いろいろなことを,ドヴォルザークのためにしてあげました。そういうことで,スラブ舞曲が生まれました。それは,ハンガリー舞曲を,ブラームスが書き上げて,そのすばらしさに,ドヴォルザークが感動して,「わたしにもそういうものを書かせてください」ということをブラームスに話したんだそうです。そうして,こういう名曲が生まれたということは,僕たちにとって,しあわせなことでした。今日,日本フィルハーモニーにとって,いちばんしあわせなことは,みなさん,大勢の方のオーラをいただきながら,演奏できることであります。・・・ところで,ブラームスにとって,少し,違和感がございましたでしょう? それは,ハンガリーの,いまのような,音楽を書きしたためることだったような気がしてなりません。なぜなら,ハンガリーは,まるで,東洋の国のように,あの一角に,ウィーンから程近いところにございますのに,まったく違う習慣だとか,言葉とかがあるんです。たとえば,言葉だけの違いを取り上げますと,”良い”ことを”ヨー”といい,”水”のことを,”ミーズー”といい,”白鳥”のことを”ハクチュール”,クラリネットを”吹く”ことを,”フックー”といったり,・・・他にも,類似音がたくさんございまして,”塩”のことを,”ショー”といいますが,その”塩が足りない”ことを,なんと,”ショータラン”と申します。(会場笑い) という風に,類似音の違うところで,ブラームスは,ジプシー等のいろいろな音を耳にしながら,ハンガリー舞曲を書いたように思います。わたくしも30年以上,ハンガリーの方と接触をしていますけれども,その心の中は,日本の,とくに今日の,コンサートにかけ付けてくださったみなさまがたのような,優しさにいつもあふれております。・・・ところで,いまから,ハンガリー舞曲の第5番がブログラムに載っておりますけれども,・・・あ,(ブログラム)開かなくてけっこうです。(会場笑い)・・・あのー,6番を先に演奏させてください。1番と5番は,ちょっと同質のものがありますので,6番を先に演奏することにして,5番にいこうと思います。(満場拍手のなか,指揮台にのり,すぐにタクト振り開始)

如上の心温まるトークが象徴するように,客席で聴いてて,かたくるしくなく,それでいて情熱的な演奏でございました。
モルダウ」直前にも,作品のあらましと音響効果についてのトークあり。楽譜の指示には無きものの,弦楽器を激しく叩きて水しぶき激しく散るモルダウの光景を表現せるとの由。
「1812年」では,東海大付属高ブラスバンドのメンバーを2階客席に配置。クライマックスに至りて,コバケンがくるりと後ろ振り向きて指示するや,一気に大咆哮せり。ティンパニによる大砲音どかんどかんと鐘じゃらんじゃらん鳴りまくり音の花無数に咲き乱れ,まことに四方八方は華麗な音の大洪水なり。いったい何が起きたんだと唖然とせり。アンコールでもこの「1812年」クライマックス部分再現せり。満喫満喫。

*1:本番では,5番と6番の順番がひっくりかえる。トーク中にその旨説明あり。

*2:キタラの大ホールは,ステージ後方にも客席があるので