本日の読書

「どくろ杯」どくろ杯 (中公文庫)金子光晴著中公文庫)。本屋でふと手にとったところ冒頭の書き出しが,不思議に平成以降の日本の世相と,気のせいかリンクしているような気がして,買って読んでいる。

・・・みすみすろくな結果にはならないとわかっていても強行しなければならないなりゆきもあり,またなんの足しにもならないことに憂身をやつすのが生きがいである人生にもときには遭遇する。七年間も費やして,めあても金もなしに,海外をほっつきまわるような,ゆきあたりばったりな旅ができたのは,できたとおもうのがおもいあがりで,大正も終わりに近い日本の,どこか箍(たが)の緩んだ,そのかわりあまりやかましいことを言わないゆとりのある世間であったればこそできたことだとおもう。あの頃,日本から飛び出したいという気持はわたしだけではなく,・・・

平成に置き換えると,たしかに,いわゆるバブルが崩壊する以前はたしかに「やかましいことを言わないゆとりのある世間」ではあったような気がします。そしてバブルが崩壊し,反対に,なにかと余裕のない世間に退行してしまったような,という点でも通底しているような感覚です。
そして,なによりも奇妙な暗合は,この詩人の自伝的作品が,関東大震災を発端としていること,そして震災による衝撃が,詩人が住み慣れた秩序を根底から揺るがえしてしまったことです。あのいまわしき阪神大震災を経験した平成の読者としても,この辺おおいに気になるところです。
そんな心持で,ようやく半分くらい読了したところなのだが,読み進めるにつれ,すごい過酷な回想記です。大正12年「こがね蟲」で華々しく詩壇にその名を飾ったものの,すぐに例の震災に見舞われ,詩集刊行後の余波もなにもかも雲散霧消してしまう。妻子を抱えながらも,収入はとぼしくなり,そして同時期のライバル詩人との間の摩擦やら軋轢やらも詩人を消耗させてしまう。いったん詩壇にて華々しく頂点に立つことが出来ただけに,凋落をかこつ身は,おそろしく葛藤の濃いものだったとおもいます。
ただ,不遇時代の陰鬱な回想にも関わらず,文体が,リズム感溢れていて,ぴーんと張り詰めた緊張とはうらはらに,軽妙さがあり,不思議と読ませます。この「どくろ杯」のあとにも「ねむれ巴里」「西ひがし」と三部作続いているそうなのだが,この後もこんな感じで続いていくんでせうか。気が向いたら後のも読むつもりだが楽しみです。
佐藤惣之助なんていう歌謡曲の作詞家でもある方の名も出てきたりするのも楽しいです。