日録

晴天なれどもなんとなくうす曇り。桜咲き始める。主に自宅まわりで過ごしつつ、福岡に出かけたときのログ起こしをする。以下のとおりです。とりあえず年度末でドタバタしていますが、こうしてオフィスでのあれこれとはまた違った次元のことを考え、整理するのは、いい気分転換にもなります。このペースで春を駆けっていきましょう。おやすみなさいませ。
<3月11日のこと>ブログのネタにしておきたいな、とは思いながらも、なんとなく忙しくて書けずにいました。まあ、それが年度末というものなのでしょう。とはいっても、いつまでもなにも書かずに忘れてしまうのももったいないので、おもしろい、と思った部分だけを、雑に書いてしまいます。
先日(3月11日)、福岡県の筑紫野市にでかけていました。目的は、杉山3代研究会大会*1をぶらりと見に行くことです。3代のうち、いちばん有名な夢久こと夢野久作さんの作品は、ほんの一時期ですが、けっこう面白がって読んでました。それでも結局三一書房の7巻全集全部読んでしまってました。ほんの一時期とは言いながらも、なかなかの熱の入れようです。
それにこの鳥取から福岡なら距離的にはそれほどのものではないし、この機会に福岡にでかけて、夢久さんの世界を共有できそうな人と言葉をかわす機会があってもいいのではないか。そういうわけで、参加を決めました。
前日夜22時に米子駅前から夜行バスに乗って、翌朝には福岡駅前バスターミナルに到着しました。午後からの大会にはまだたっぷりと時間があったので、午前中はついでの朝の散歩と言うことで、呉服町一行寺にでかけて、杉山3代のお墓にもご挨拶を済まてきました。折しも夢久さんの命日でもあったので、墓石の両サイドにはいま挿したばかりの新しいお花もあがっていました。すでに杉山家か、あるいはファンの方が捧げてくれてたのかなと思います。ちなみに自分は手ぶらでただ墓石を拝んだだけでした。
福岡駅周りをすこし巡ってから、昼まえ11時頃には、JRに乗り、二日市駅に向かいます。駅前のホテルにチェックインを済ませて、今回の会場の筑紫野市生涯学習センターに足を運びます。3階の視聴覚室が今回の会場でした。
13時、いよいよ大会のはじまりです。はじめはいわゆる任意団体には付き物の「大会」でした。選任された議長ささんが前年度の決算報告と、新年度の予算案とを説明して、みんなから拍手をしてもらってハイ!可決にもって行くとおう型どおりのものでした。それでも面白がって聞いてました。特に昨年度決算では、不知火書房さんが全国的にリリースされた会報「民を親にす」の売れ行きが好調で、ほんのわずかながら黒字決算になったようです。おめでたいことです。
14時前には上記大会がおわり、いよいよ研究会本番です。トップバッターは「基調講演」ということで、江戸川乱歩賞をとったばかりの作家佐藤究さんによる「ドグラ・マグラと人類の無意識について」というものものしい表題の講演でした。とはいっても、かの大作ドグラマグラには、いっさい言及せず、傑作短編「押絵の奇蹟」に触れながら、人類が背負ってきた「記憶のミメカタチ」の不思議さについて語る、という内容でした。
まず演台の上に江戸川乱歩賞の正賞である大乱歩の胸像を置き、佐藤さんはその胸像に見下ろされる位置に座ってマイクを握り、ご自身が作家としてのキャリアで経験してきた、不思議な記憶のミメカタチについて、エピソードを交えて語っていきました(ちなみに、乱歩の胸像を演台に置いたのは、かつて昭和のはじめに乱歩さんが、夢久さん宅に招かれたときに、応接間で、茂丸さんの胸像に見下ろされていたエピソードに由来したものだそうです)。
講演の内容は、本当に魔呵不思議な、小説的なものであり、夢久さんと乱歩さんと、そして佐藤究さんご自身とが積み重ねてきた記憶が世代をこえて複雑にリンクしあい、人と人とのご縁の不思議さを感じさせるものでした。
まず、究さんがまだ作家として駆け出しの頃、河村悟さんという詩人と知り合いになったこと。詩人は1948年生まれであり、いまでこそ詩人という肩書きなのだが、かつて60年代にはR大学の現役学生であって、全共闘闘争にも関わり、逮捕され、投獄されたすごい過去を持つ人です。
さて、詩人と言えば、かの乱歩さんも、昭和12年の講演録「夢野久作とその作品」にて、北原白秋邪宗門」を引き合いに出しながら、夢野さんの作風に、詩人としての資質を感じとり、探偵作家という既存の枠をはみ出た作家として評価し、故人を偲んでおられたそうです。
そして、ここで、ふたたび、R大学出身の詩人河村悟さんの話に戻ります。そういえば当時、このR大学で総長をされていた人物は誰かというと、なんと、乱歩のご子息平井隆太郎さんでした(ちなみに、当時、戸川安宣さんが推理小説研究会をされていたときに、顧問も務めておられました)。しかし、河村さんは闘士であり、学生なのに講義にもまったく出席せずに、全共闘闘争に入れ込み、1969年1月には、ついに逮捕され、投獄されてしまいます。学生でありながら前科がついてしまう。当然のように、退学届を大学へ提出せざるを得ない状況になってしまいます。
しかし、なぜか受理されず、不思議なことにいつまでも「休学扱い」になってしまう。いったいどうしたことだろう、と思いながら日々を過ごしていたところ、ある日、大学総長の平井隆太郎さんとキャンパスでばったりと出会ってしまう。「いろいろ大変らしいね。卒論、僕でよければ、見ようか?」と優しく声をかけてくる。落第生である自分に総長が直々に対話を求めてくる。あり得ないことが起こった。
しかし、これも必然あってのこと。平井隆太郎総長は、河村さんが全共闘で用いるアジテーションのテキストに「詩」を感じ取っていおられたというのです。詩人としての資質を評価し、大事にしたい、という意図なのか。だから、何度も提出されてくる退学届を受理せず、総長判断で休学扱いにしていたらしいのです。
ここで雑にまとめます。・・・乱歩さんが夢野さんを「詩人」として評価していたこと。・・・そしてご子息隆太郎さんが河村さんを「詩人」として評価していたこと。・・・そして、河村さんと、佐藤究さんとがお知り合いになり、ついには、探偵小説を執筆され、江戸川乱歩賞の受賞にもこぎ着けたこと。そして今日、福岡で講演をしていること。
ここには、人が世代を代わっても、どこかで無意識に受け継ぐ記憶というものがあり、それが人をつき動かしているのではなかろうか。まるでドグラ・マグラではないか。・・・という結末で〆て、この講演はおわりになりました。かなり魔呵不思議で、そこが小説家ならではの講演でした。じっさいにこれはもともと「ノンフィクション」として執筆したものの、事情により掲載が見送られた未発表作品のネタだそうです。そのうち、ふさわしい雑誌に正式に発表される日を楽しみにしています。おもしろい講演ありがとうございました。
その後の、各担当からの研究発表もいろいろ興味深いものばかりでしたが、とりあえず端折ってかいつまんで書きます。
浦辺さんの講演では、福岡市箱崎狛犬のお堂の話が記憶に残りました。大正時代に路面電車を整備するときに、まわりを掘り返したら、犬の首がでてきたそうです。まさに「犬神博士」のエピソードの由来としてのお堂です。また福岡に来るときに立ち寄ってみたいポイントが増えました。
つづいて4代目杉山満丸さんの報告は、ここ1年間の杉山一族にまつわるイベントやらを紹介するもの。とくに昨年は、国書刊行会で全集が発刊されたりで、毎月のように夢久にまつわるイベントが開催されていて、けっこうにぎやかな1年間だったようです。
台湾から来られた黄さんの発表は「冗談に殺す」と、志賀直哉の作品の手法の類似する箇所について指摘されたもので、ずいぶんと読みが深いよなと思います。
また東京から来られた鈴木さんの発表は、「笑う唖女」を取り扱ったものであり、前近代の象徴である唖女が、近代科学の象徴である医学生を殺してしまうという、物語としての構造について解き明かしてくれるものでした。これもまた読みが深くてたいしたものだと思いました。
中島さんの発表は、夢久さんの年譜を詳細にまとめたもので、今回の発表は、亡くなられる直前の約3年間に絞ったものでした。中央探偵文壇でようやく原稿が売れるようになり、作家専業として決意を固めた時期です。福岡からでてきたばかりでほとんど新人同然な環境でありながら、古くから付き合ってきた大下宇陀児さんとのご縁で、けっこう快調に売文生活をされていたことが、よくわかる内容でした。ただ、原稿依頼を断ることなく引き受け続けてしまったため、かなり忙しくて、苦しんでもおられたようです。当時、頭痛が激しいため、ミグレニンを飲みながら執筆されていた一文が日記にあることも併せて紹介されていました。もうすこし休み休みしながら執筆されていたら、あんなあっさり早死にしなくても済んだのかもしれないな、と思ったりもしました。
以上、1日目、2日目の発表とがごっちゃになっていますが、とりあえず、自分の記憶に強く焼き付いたのは以上の発表です(とはいえ、すべての発表において、自分なりにノートもとってます)。
一連の発表がおわったあと、夕方から会場を居酒屋「吉丁」に移して懇親会になりました。だいたい20名位あつまって、今日発表した内容や、夢久の作品を読んだ思い出話とかいろいろ明け暮れました。びっくりしたのは、地元福岡よりも、東京や、名古屋や、奈良といった、遠方からの参加者がものすごく目立ったことです。それだけ杉山家への関心は、全国的なものなのだなと感心したりしました。
ただ黙って、座席で研究発表を聴いていただけでしたが、総じて、楽しい会でした。懇親会では初めて潜り込んだ自分にもいろいろ親しく接していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。また、来年も時間が取れるようでしたらおじゃましたいと思います。福岡楽しいです。ありがとうございました。