本日の読書

明恵上人 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)(白州正子著)」河合隼雄氏の著作つながりで読了す。冊子が薄いし文章も平易だったので、あっさり読めました。ただ活字だけ追うだけではもったいないので、GoogleMapでゆかりの地をチェックしながら読んでました。それにしても、ゆかりの地といえば、京都は高山寺と、紀州は施無畏寺との二箇所にほぼ限定されているんですね。しかも政治や戦乱とかにはもっぱら無関心で背を向けて、ほぼ引きこもり同然なスタイルで修行を深めたという感じです。同時代の、親鸞さんとかに比べれば、生涯の移動距離がぜんぜんコンパクトに収まっています。それにも関わらず(いやそんなのそもそも関係はないのだが)、仏道への取り組みはディープな域までたどり着けたようで、そして平易なスタイルで説く域にまで達しているんですね(あるべきやうは)。改めて偉大な人なんだなと思いました。また、ちょっと不思議な人物だったみたいですね。釈迦没日ということで、涅槃会とかを開いていると、その真に迫った悲しみぶりに、その光景を見るだれもが心打たれるものがあったみたいです。ご自身としては涅槃会は「ただ自分がやりたいから」一方的に行っていることであって、別段、人を集めようとかいう他心はないにも関わらず、周囲の人はその様子に興味津々になって、うわさはうわさを呼んでしまい、それで涅槃会を開くたびに、どんどん人が集って信者が増えてしまったみたいです。つまり、本人が意図せずとも、事実上の「カリスマ」として存在してしまったわけで、そこのところが、高僧たるゆえんなのかもしれません。少しばかりの狂気もあったとしても、そこがなにか人に愛されひきつけるものがあったのではないかと思ったりします。人となりとをよく理解できました。
ゆかりの紀州湯浅町にはそのうち観光に行ってみたくなってきました。あの辺の、青い海と緑濃い山とをじっくりと拝してみたいです。