本日の読書

泥棒日記 (新潮文庫)泥棒日記(ジュネ著新潮文庫)」10年ぶりに一気に再読してみたくなってきたので読む*1。作中で取り扱われているのは,男色と泥棒の世界であって,そしてこれらが構成組まれてすっきりまとめあげられてるわけでもなく,ただただ細かなエピソードばかりを執拗に執拗に饒舌に饒舌に積み重ねて書き綴られるというものである。したがっておよそ「要約」することなど不可能な著作である。
だが,書かれている素材云々はさておいて,この本の世界に身をゆだねて読んでると,人間の存在と,ひとつのことに徹しきる(=文章を書き綴る)ことによりかもし出された,その異様な剄さというものについて考えさせられる。
泥棒という非道な世界に住んでいる以上,通常の平和な秩序に住んでいる常人からは,つねに蔑視され疎外される存在であるが,しかし筆者はその秩序の外側から,世界を執拗に観察し,論理付けし,文章化し,現実世界を揺すぶろうとする。このことが読んでいる者にびんびんと緊張感を強いてくる。不思議な本だと思う。

いくつかの試みに首尾よく成功したおかげで人並みの世界に身を置くことが出来たとはいえ,こうなった以上わたしが恥の中に生きなければならないことは決定的になったとわたしには思われた。わたしは以後は頭を低く垂れて生き,自分の運命を,あなた方とは逆に夜の方向に追求してゆこうと,そしてあなた方の美の裏側を開拓しようと決心したのだった。

文章上は,こんな調子ばっかりくりかえされて,常人とはおよそかけ離れた,正反対な視点と価値観に立脚しつつ,著作は執拗に展開されていく。しかしその文章はつねに明快で論理的でたくましいからすごい。特定の規律秩序からむごたらしく疎外されていても,人間はそれでも自分の中に世界を飼い慣らして生きていくことが出来る。そのことを文章で立証してみせている本だなと思う。
こういうマイノリティーな本だけども,だからこそ売れないからといって絶版にしたりせずに,ひっそりと静かに版を重ねて続けていて良い本だと思う。もっとも,奥付き眺めていると,けっこう版を重ねているのよねえ。新潮文庫って,どの位の周期と方針で,こういう世界文学本を増刷されているものなのでしょうか。このことも気になります。

*1:10年おいて読み直すと,さすがに,読感は変るものだなと思う。当初は安吾さんの晩年期のエッセイ(タイトル思い出せない)に紹介されていることに触発されて,そしてオビ等記載の「怪物作家」などというレッテルに引かれて本を手にとり,そしてその晦渋な言い回しに振り回されてうとうと眠気を誘われながら読み通したような記憶。そして今回通読してみて思ったのは,ここに書かれた世界は,けっして「異様な」「怪物的な」ものではなくて,誰だって,生まれと境遇次第では,このような世界に陥ることだってあり得るわけで,むしろ,わりと身近な世界での出来事なんだなという感じがする。人の生き方の一サンプルとして冷静に読んでいたりする。