長塚節生家にて

新車を駆動して初の遠出がここです。われながら渋い選択ですが,藤沢さんの「白い瓶」を読み終えたばっかりなのですから,観に行かないといけません。白河から南下すること約3時間を経て,茨城県内旧石下町町内に入って,しばらく適当に,自動車を走らせていると,町教育委員会設置による看板が街中のあちこちに立っていて,そしてそれが目的の長塚さん宅の方向を示してくれているおかげで,あっさりと見つかりました。県道136号線から,細い小道が枝分かれしているので,ハンドルを切って,そこを500mばかり進むと,閑静な田舎道に沿って,すぐそこに長塚節生家の門が立ってました。

家屋ではなくて,門です。でかいです。まさしく往時の豪農を偲ばせてくれます。
門の右には節さん旅姿の銅像が立っています。

この門をくぐると,かやぶき屋根の生家がどっしり立っています。これもすごい。
ちなみに,この生家は,一般客向きに無料開放はしていますが,いまなお長塚家の私有物なので,無断立ち入りは厳禁です。観覧するときは,中にいる家人にひとこと声をかけなくてはなりません,とのことです。それで,まず手前の玄関の戸を叩いてしばらく待つと,土間奥のうすっ暗がりの中から,おばさんがぬっと現れてきたので,あ,この人が家人なのかなと思ったので,さっそく「(節さんの生家)見ていいのでしょうか?」と訊くと,「どうぞどうぞ,庭脇の(小さな)門からお入りください」と快い返事がもらえたので,お言葉に従ってずんずん入っていきました。
それにしても,これだけの豪勢な,かやぶき屋根邸宅を,私有物のまんま,永年保存している,長塚家の力って,考えてみればすごいことですね。そういえば,この生家周囲には,「長塚運送」「長塚測量」「長塚整骨院」「長塚鍼灸院」とか,なにやら長塚家に由来しているとおぼしき,商売看板がずらずらと並んでいました。いろいろな商売に手を出している一族みたいです。思うに明治からこの平成に至るまで恒産絶やさずがんばっているのですね。努力家一族に間違いありません。
で,さきほど案内いただいた小門をくぐってすぐ右を向くと,すぐそこに縁側があって,その縁側から長塚節さんの書斎へ上がることができました。
縁側には,さきほどのおばさんが,正座して座って待ってくれてました。どうやら,生家の案内人のようです。ということは,長塚節の姪に当たる人って,このおばさんだったんだ*1。びっくり。
−−−どうぞおあがりください
なんとなく焦りながらも靴を脱いで縁側にあがると,書院造の古式ゆたかな書斎が目の前に現れました。おお,これが,あの,ビデオカメラのような写実的なスタイルによる短歌及び小説が,おびただしく産み出された空間なんだと思うと感動感動。だいたい7〜8畳くらいの書斎で,壁際には,直筆書簡や原稿を展示しているガラスケースとか,額とかが,設置されてました。
わたしが,何も言わずに,黙々とそれら展示物を眺めていると,件のおばさんが縁側で正座したまんま,どんどん話しかけてきます。
−−−どちらからおいでになりましたか。
「福島の,白河からです」
−−−遠いところからこられましたねえ,泊りがけですか。
「いえいえ,車で3時間くらいかけて来ました」
−−−長塚節も,東北のほうは,ずいぶんと旅をしたのですよ。その,ガラスケースの中に,すげ笠があるでしょう。それは(長塚節が)松島を旅したときのすげ笠ですよ。
「はあ」
たしかに,年季が入ってて,ぼろぼろに朽ちたすげ笠ではあるが,笠の表面には,旅先で読んだ短歌が,筆で書き込まれているのがわかる。脇に小さく「大高森」と書いてあるから,確かに松島観光記念に書き込んだものと知れた。
おばさんの話は延々続く。
−−−長塚節は,旅好きで,いつも,すげ笠,手甲脚半,股引姿で,あちこち旅をしたのです。でも,周囲からは,この格好,ずいぶん変な目で見られたみたいです。
「え,この旅姿って,明治期のころには,すでに”過去のもの”だったということなのですか」
−−−はい。しかも,(すげ笠の下には)20歳くらいの若いお兄ちゃんでしょう。不思議な目で見られたと思います。
「そうでしょうね」
なるほどなるほど,要するに,長塚節って,アナクロニストだったんだ。そういえば,松尾芭蕉を強く意識して,東北を旅したこともあるなんてことがどっかに書いてあったような気がします。それでわざわざ江戸期の服装にまで意識を凝らしていたのですね。
−−−(旅先では)歌人仲間の宅に宿泊したようです。歌仲間の宅に宿泊しながら,北は青森,南は九州まで,・・・宿には困らなかったようです。ちなみに,上京のときは,(節の)父親の,政治仲間の宅に宿泊したみたいです。
こちらがなにも言わないのに,長塚節さんのこと,どんどん説明してくれます。
退屈しません。
でも,ひとことだけ,痛い質問受けました。
−−−「土」はお読みになりましたか?
「いえ,まだ,読んでいません」と言葉に詰まりながらもおそるおそる正直に告白。
−−−40過ぎたら読むといいですよ。
あっさりいなされてしまいました。添付のURLと同じ展開です。得意の殺し文句に違いありません。
おばさんが,庭先を眺めながら,
−−−ここは,静かでしょう。こんなに静かなのに,東京から,わずか,60kmほどしか離れていないのです。
わたしもその言葉につられて庭先を見ると,雑木がたくさん生い茂っていて,緑が豊かな,静かな庭園が広がっていました。ふと見上げると,花梨の実も枝先に生っていて,もうすこし色がつくと,地面におちてきそうな按配です。
−−−(こんなに静かだから,節は)外へ外へと(旅に)出たがったのでしょうねえ。
あまりにも実感のこもった言葉に,わたしも深く納得しました。言われてみれば,静かな農村です。100年前,歌人が暮らしていたころと,まったく変わっていないのではと思われてなりませんでした。

節は雑木林に入った。雑木林の中で道は交叉したり曲がったりするが,節はその道のひとつひとつを知悉していた。誰にも会わなくて済む林の隅を目指して歩いていった。母の前に我慢していた咳が,つづけざまに出た。そしてそのあとにいつもの不快な喉の痛みがやってきた。歩いていく間にも,林の中に入り込んでくる夕日は,赤みを増すようだった。木々の葉は,まだ夏の間の生気をとどめていたが,下生えの草はもう黄ばみはじめていた。林の中の空気はつめたく,小楢や橡の幹は,日があたるところはことごとく赤く日を照り返し,陽の射さない木の裏や枝陰は濃い影をつけはじめていた。

藤沢先生が上記のように描いたような世界が,いまなおそのまんま生家周囲に広がっています。
百聞は一見にしかずです。文人ゆかりの地観光として,おすすめの場所です。