本日の読書

白い航跡(上) (講談社文庫)「白い航跡(上)(吉村昭講談社文庫)」明治の海軍軍医高木兼寛の生涯を描いたもの。上巻は戊辰の役から始まる。
反政府軍会津若松に立て篭もって根強く抗戦を続けている。そしてそれを鎮圧しようとする政府軍。白河に軍の中枢を置き,郡山,三春,二本松,そして本拠地会津若松に至るまで,官軍を出して少しづつ攻略していきます。そしてこの内戦のごたごたのただなかに,若き日の高木が,医療担当として参加していたわけで,そこで前線で負傷した兵士らの治療をしたりするわけなのだが,しかし,当時,高木が学んでいた医学というのは,江戸以来の漢方を土台としたもので,このような有事の銃撃戦で受けた負傷を治療するための,西洋医学を実践できる医者はほとんどいなかった。高木も,同じで,この凄惨な医療現場では何も出来なかった一人であった。
弾丸で受けた傷は,肉を切り出して弾丸を摘出しなくてはならない。時間がたって壊疽を起こしてしまった場合は,五肢を切断することもやむを得ない。要するに,当時,こういった外科手術が出来る医療技術者がいなかったので,前線での負傷で受けた傷の「不適切な治療」がもとで,命を落とす兵士が続出していた。
ただ,その外科手術ができる医者が少ないが,いた。それが関寛斎だった。彼が,銃撃戦にによる負傷兵を,西洋式の外科手術でつぎつぎと治療していく様子を,高木はそこで見せ付けられる。弾丸摘出はもちろん,壊疽に至った場合は,五肢をノコギリで切断することなどあたりまえ。読んでて痛い。しかし,高木はそこで外科手術の効力をそこで目の当たりにしたわけで,そして西洋医学をもっと学ばねば,という志を立てるというわけ。そこから彼の数奇でそして偉大な生涯が始まるというわけでした。
しかし,上記の記述って,ぜんぶ,我が家の近所で起きてたことばかりではないですか。150年前の白河から郡山方面一体って,どんな状態だったんだろう。焼け焦げた家屋が立ち並び,荒廃しきった街並みが,しごくあたりまえだったのだろうか。いまの街並みからはとても想像ができません。いったいこの地で何が起きたんだ何が。
でも,このことは本著のテーマではないの。
引き続いて下巻読も。