本日の読書

マラケシュの声―ある旅のあとの断想マラケシュの声(カネッティ著,法政大学)」

人は旅をしているとき一切を受け入れるのであり,憤激は家へ置いてくる。人は眺め,聞き,どんな恐ろしいことにも,それが目新しく耳新しいので,感激する。よき旅人は冷たいものである。

一切を単純きわまる種類の繰り返しに還元するこの生活の中に,どのような誘惑が存するものかということが,わたしにはわかった。小さな店で働いているのを見かけた職人たちの手仕事に,いったい多かれ少なかれどれほどの変化があったろうか? 商人たちの安売りに? ダンサーたちのステップに? 当地の客を一手に引き受ける薄荷茶の無数の茶碗に? 金銭にどれほどの変化があるだろうか? 飢えにどれほどの変化が? これらの盲の乞食の本当の姿が何か,わたしにはわかった。くりかえしの聖者。

わたしは紙に身を売ってきた。気弱な夢想家たるわたしは今,机と扉に保護されながら生きている。かれらは雑踏する市場の中で,毎日変わる百もの新しい顔ぶれを前にして,冷ややかなあらずもがなの知識に煩わされることもなく,書物や名誉欲や空虚な威信とは無縁に生きている。わたしは文学に生きている西欧の人間たちのところでくつろいだ気分になったことなどめったにない。わたしは自分自身が頼るところのあるものを軽蔑しているので,かれらを軽蔑してきた。このあるものとは紙にほかならない。この広場で思いがけなくも,わたしは仰ぎ見ることのできるような詩人たちのもとにいた。彼らの言葉は一語たりとも文字に立てて記されていなかったからである。

きっと,旅先でも,思念に耽り続け,ずっと渋い顔をしつづけているのだろうなあ。