今朝の報道番組で

福島県郡山市にて,住民の間でトラブル起こしまくっている”ごみ屋敷”の件について紹介されていた。郡山市は,この北海道に移る前は幾度と無く足を運んだ街。それだけに身近な話題に感じます。
報道によると,市内のとある家屋4軒が,庭から家屋に至るまですべて,その辺で拾ってきた生ゴミやら家電品等でぎっしり埋め尽くされているとのこと。そしてその4軒ともすべて同一人物の所有家屋だというから恐れいる。しかも,郡山市だけではなく,すこし北にある福島市にも借家を借りて,同様にごみだらけ状態にしているとのこと。いったいどんな本業をすれば5軒もの家屋を所有することが出来るのかも驚かされるが,しかし,そのごみ屋敷のために街の景観がひどく害されること,そしてたまった生ゴミが腐って異臭を放ち,周囲住民の生活に少なからず迷惑をかけてしまっているのは,ひどいものだと思いました。
それで,町内会でもこのことで憤慨して,町内会の代表が,家主のもとに出向いて直談判,「迷惑だからごみ整理してください」などと,説得工作しようとしても,家主のほうからは,
「どのように迷惑なのか具体的に説明してくださいよ。」
・・・とか云々屁理屈をこねて返して来る始末で,交渉に一向に応じようとしない状態の模様。
もちろん警察に通報しても,警察は民事には介入してくれない。まったくの膠着状態のようだ。
一言で言うと,この家主は,さみしいから,かまってもらいたくて,こんなごみ屋敷にしてしまったのだな,自分の世界に果てしなく閉じこもってしまって,容易に人と口をきけなくなってしまってるんだなあ,と思った。というのも,取材の映像を見ていると,この家主,町内会の人との接触はつとめて避けて行動しているが,直接に利害関係を有してないテレビ記者からの取材にはわりと紳士的に応じておられることから,そのことがなんとなく察せられた。いずれにしても,これは重症。ソフトランディングのためには,まず,共感を持って耳を傾けられる交渉人が必要だよ。事の発端までさかのぼって気持ちを解きほぐしていければと思うのですが,どうなのだろうか。世間で言うnegotiatorというのは,刑事もの映画の世界等ではよく聞くけれども,民事の世界には無いものなのだろうか。
自分も,どんなに歳とってもああはなりたくないものなので,モノの整理には神経を使うことにしてます。本棚にたまった書籍類とかも,自分の中で役割を終えてしまったものは,遠慮なく捨てることにしてます。
下記の著作にもひそかに共感をおぼえてます。けっこうベストセラーのようですね。うわぁ,このはてなにも言及がたくさんぶらさがってます。
ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門 (小学館文庫)「ガラクタ捨てれば自分が見える(小学館文庫)」
これを読むと,モノというものは,その大半は,手元になんか無くっても,人生という時間は,何の支障も無く滞りなく進んでいくということ,不要物を潔く捨ててしまえば,いつでも新鮮な世界観が流れ込んできてくれてもっと世の中を楽しむことが出来るようになるということを知ることができます。
郡山ゴミ屋敷問題の解決を祈りつつ。