ひどい鬱状態でした。

本日は,普段,日常でも使わない,
”俺”口調を使わせていただく。
俺口調を使うことで,文章のスピード感を速め,
そしてこのことで,少しでも,早く,
気持の整理と決着をつけたいからである。

ここ数日,俺は鬱状態どん底に陥っていた。
なぜなら,不用意な,とある心ない発言を,
幾度となく浴びせられたから。
その不用意な言葉とは,

「お元気ですか?」

であった。
実は先週,同じ職場の,
別地方部署の,とある同僚が,
約5年ぶりに
この北海道のわが職場に出張しに来て,
その夕方,懇親会で会話をしたのであるが,
その時,わたしがまったりと会話を楽しんでいる最中に,
いきなり,向かい側の席から,
ニコニコしながら近寄ってきて,
さわやかな笑顔で,

「お元気ですか?」

と,訪ねてきたからだ。

この「お元気ですか?」
という言葉には,
俺はいうに言われぬ不快感を,
その場で感じた。

しかし,俺は,その場で,パッと,
その不快感を表明することが出来ず,
その不快感をそのまま,
懇親会の後の数日間,
抱え込んでしまい,
そして,それを晴らすことが出来ず,
むしろ,鬱を亢進させる引き金となってしまった。

ここ数日,その濃い鬱による,
日常の居心地の悪さに,
心のあちこちが虫食いの葉のように,
ぼろぼろに食い荒らされてしまい,
消耗甚だ激しく,
普段のあたりまえの業務をこなすだけで,
ようやく精一杯であった。

本業を終えて,帰宅してからも,
この不快感を,心の奥底から洗い流すことが出来ず,
そしてアルコールで晴らそうとして,
焼酎をぐびぐび飲んでも,
気持はますます亢進するばかりで,
とても平常心をもって,安眠につける状態を,
得ることはできなかった。

だが,月日が流れるというのはありがたいもので,
ようやく,本日になって,
”ごく普通に”,職場の仲間と本日の打合せをしつつ,
ここ数日の,とてつもない不快感と,
鬱の原因について,
自分なりに結論を出すことができた。
そしてこの鬱と言う,
心の乱れの原因を,
突き止めることが出来たように思う。

まず,この,
「お元気ですか?」
という質問は,
まず第一に,
訊ねられた方としては,
居心地が,甚だ,悪いということ。

お元気ですか?
と訊かれて,
即座に返事を出すことはとても複雑な思いがする。
人間なんていい年こいたら
身体のあちこちに,
故障が出てくるもの。
眼だって悪くなるし,風邪は引きやすくなるし,
腰は時々痛むし,たまにスポーツでもしたら,
息はすぐに切れたりするわで,自らの体力の低下を,
いやというほど思い知らされる。
そんな状態で,「お元気ですか」と訊かれたところで,
さて「元気ですよ」と答えたところで,
なんだか自分に嘘ついてるみたいで,気持が悪い。
かといって,「元気ないです」と答えるのも,また居心地が悪い。
だからといって,「まあまあ」と答えるのも,
歯切れが悪くて,ますます気持が悪い。
結局,「ええ,元気ですよ」という由の,
おざなりな回答を,
不可抗力的に,
強いられる結末になる。
この居心地の悪さが,
たまらなく気持が悪いのである。

そして第2に,
「お元気ですか?」と訊かれたとして,
「元気です」などと,
自分自身で,主観的に,
回答を出せるものではないということ。
自分が,いま,元気かどうかなんていうのは,
第3者に判断してもらう要素も強いわけであって,
そしてそれをある程度判断するのは,
「お元気ですか?」という言葉をいま放っている,
あなた自身の責務でもあるではなかろうか。
傍で観ていて,元気そうに,通常通りにやっていたら,
改めて,「お元気ですか?」などと,
質問する必要なんか無いわけで,
そういったその責務をハナからすべて放棄して,
面白半分に,
「お元気ですか?」などと,
たずねられたところで,
訊ねられた方としては,
その言葉の無責任さに,
気持を悪くするだけでしかない。

そして,第3に,何よりも,
「お元気ですか?」
と放ってしまう,
その態度が,
めっぽう朗らかで,
悪意が無く,無邪気であることが,
明らかに察せられること。
そしてそれだけに,怒りを以って,
対抗することがとても難しいことである。
いや,怒ること自体は難しくは無いのだが,
怒る,そのタイミングが難しいのだ。
その無邪気さが,
時には,人の心をぐさっと深く傷つけることを,
わかっておられないことを,
なんとかして伝えたくて,
俺は葛藤はするのだが,しかし,
そのタイミングはついに得られることなく,
それを内に押しとどめてしまうのである。

この中途半端な居心地悪さがたまりに溜まって,
その後になって,ここ数日,
ひどい鬱に襲われてしまったのである。
困ったものである,

上記3点が,ここ数日の鬱の要因である。


ひるがえって考えて見るならば,
例えば,鬱病患者に,向かって
「頑張れ」
と励ますことは禁物であることは,
いまでは,定石としては有名であるが,
たしかに,この
「頑張れ」
という言葉は,キツイと思う。
これに通底しているのは,
やはり,言葉を聞かされた方としては,
ますます気持の複雑さを招き,
居心地の悪い思いをさせてしまうことだと思う。
頑張れ,などと励まされたところで,
鬱病の本人は,頑張っているのに,
調子が取り戻されないで,苦しんでるのが,鬱病というもの。
それに対して,無邪気に,「頑張れ」などと,
無邪気に励まされたところで,
ますます気分が悪くなり,
鬱の底へと陥っていくのがオチではなかろうか。
しかも,その言葉が無邪気ゆえに,
その言葉に共感性が欠如しており,
聞かされた方としては,
孤立感をますます深まるばかりで,
気持がますますやるせなくなるのではないかと思う。


要するに,俺は,
安易な,
「お元気ですか」という言葉は,
俺は嫌いなのである。
社交辞令のようで,実は,とっても失礼な言葉だと思う。

これを読むみなさんも,
たとえば,ひさしぶりにかつての同級に出会ったときに,
うかつに「お元気ですか?」などと訊いてはいけない。
時には,その言葉の無責任さを察せられ,
相手の心を,深く深く傷つけることがあるから。
言葉を放つ前に良く考えて欲しい。

どんなときも,
何よりも嬉しいのは,
心と心を交し合うその状態が,
”普通”
であることがいちばん嬉しいのであって,
たとえ友人と何年ぶりにあったとしても,
ごく普通に,
今観てる大好きなテレビ番組とか,
いま応援しているプロ野球チームとか,
いま大好きなアーティストとか,
いま大好きな女性アイドル歌手とか,
そういった,ごく普通のトピックから,
和やかに会話を始めてくれるのが,
いちばん安心するのだ。
これなら,長く,楽しく,
やっていけるな,
と思い,ほっとするし,後で勇気付けられる。

しかしその”普通”を破って,
遠い距離から,改めて,
「お元気ですか?」
などと訊かれるのは,
本当に困惑するのだ。不快なのだ。
言葉には気をつけて欲しい。


俺の言いたいことはそれだけである。


こうして,この,鬱と,心の波立ちの原因を
いま,突き止めることが,ようやくできたわけである。
そしてそれを,ここでざーっと書くことが出来たこと,
それだけでも救われたなと思う。

明日からは,幾分,
俺の心も修復できて,
本業に戻れるなと思う。