本日のBGM

「A:別れのワルツ/B:アニーローリー(ユージン・コスマン管弦楽団)」 いまさらといいたくなるほど,有名すぎるスコットランド民謡をSP盤で聴いていました。
Aは,いわゆる「蛍の光」。そして,Bも同じく有名なスコットランド民謡なのだが,こちらは,自分の頭の中では,文人ゆかりの曲目として存在してます。これはたしか作家橘外男氏(1894-1959)が,その晩年に残した自伝的小説「ある小説家の思い出」にて,この曲に言及されていた記述が,たしかありますわけで,なんでも,この”アニーローリー”という,スコットランドの素朴な曲を,どういうわけか,自分(=橘)は偏愛している。何度も何度も繰り返して蓄音機にのせてはつい耳を傾けてしまう。あまりに繰り返して針をのせるので,盤がすぐに磨り減ってしまうわけだが,そうなったら,すぐにレコード店に行って,新しい盤をまた買い換えてしまう始末といった偏愛ぶりで,どうしてなのだか,自身でもよくわからない,といった旨が,この自伝的小説に書かれてあったような気がします*1
・・・という他愛の無い記憶に誘われて,橘さんと同時代の同曲SP盤はどっかにないものかと,チェックしていたところ,半年位前に,旭川古書店先に発見したのが,これです。
袋の中に解説カードも入っています。ただ内容は”別れのワルツ”についてだけで,”アニーローリー”については何の記述もないのだが,

「我が心の歌」と云ふものがあるならば,此の唄こそ躊躇なくその範疇に入れる事が出来ると思ふ。去るもの,それを送るもの,こんなシーンに,全く巧まずして,互いに口をついて唄はれる「オールド・ラング・ザイン」,その哀調はたへて泣かない男の眼にも,やさしい涙の露を光らしめる事であらう。今年の2月はじめ,惜しまれつゝ此の世を去ったM・G・M映画の音楽監督ハーバート・ストサートは,奇才ロバート・シャウウッドの原作「ウォーターロー橋」の映画化に当り,監督マルビン・ルロイに協力して,伴奏音楽を担当したが,その一節に此のメロディをワルツに編曲して採用した。此の作品は,邦名「哀愁」として,その数奇な物語と,ロバート・テイラーヴィヴィアン・リーの共演によって多大の人気を収めた

とある。ネットで検索してみたところ,ストサート監督の生没年は1885年-1949年ということがわかったから,少なくとも,この解説文が書かれた年代は,1950年頃だということだけはわかりました。まあ,少なくとも,橘さんの晩年と同じ時間を過ごしたSP盤なんだなぁと,結論することはできそうです。
橘外男という作家は,その若い頃,たいへんな波乱の生涯を送られた方でもあるということでも有名ですね。明治27年,厳格な軍人の家庭に生まれたものの,しかし本人は,持って生まれて,空想癖が激しくて,いつも日常的にファンタジーに耽ってしまって,ぼーーっとしていることが,大好きな少年だったらしい。こういう気質の持ち主が,明治期の厳格な教育制度には,とても,なじめるはずもなくて,次第に次第に学級の中で浮いてしまい,学校の成績もふるわず,落ちこぼれてしまったようだ。
それでも,なんとか学校は卒業して,就職は果たすものの,過去の劣等感と鬱屈とを心の中で処理できないまま勤務を続けているうちに,24歳の頃,つい魔が射してしまい,勤務先のお金を,公金横領してしまい,警察に逮捕されることになる。そして受刑。前科者の烙印を押されることになる。実家が,厳格な軍人家庭だったということもあって,前科者の烙印を押された彼は,一家の”恥”として,徹底的に見放されてしまう。また,前科者という経歴を背負ってしまったために,釈放後も,就職先がなかなか見つからず,言い知れない苦労を何度も何度も強いられたようだ。
そういう社会のどん底で,ひどい屈託だらけの生活をしているうちに,「ひとつ,本でも書いて,背表紙に,金文字で綴られた自分の名前が,店頭に並ぶことになれば,実家でも,自分を見直してくれるのではなかろうか」という思いがふくらみ,それが,小説執筆の動機となったとのことである。
そして,大正11年「太陽の沈み行く時」を刊行。それからブランクが空くのだが,昭和13年「ナリン殿下への回想」で,直木賞を受賞してしまうのだから,その人間としての底力のすごさは,感動的ですらあります。
ただ,当時の,エンターティメントとして,書かれたこれら短編群は,異国情緒豊かで,堂に入ったリズム感ゆたかなその饒舌体とは裏腹に,その作風はどういうわけか,救いの無い,悲劇的な作品が多いわけです。「ナリン殿下への回想」のナリン殿下も政治的陰謀に巻き込まれて,救いの無い死を遂げるというオチだったし。
要するに,小説中の登場人物を,とことん残酷に残酷にいじめていじめぬいて,それでいて平然としている語り手の橘外男が,そこにいる,という感じなんです。人生の辛酸をなめつくしたからこそ出来る所業なのだろうか,と後年の読み手としては思わざるを得ないくらいの迫力を感じます。
戦時中は,執筆活動は制限され,満州にわたって過ごしていた模様。そして昭和20年,終戦。日本に戻ってきて,ふたたび執筆活動を開始するわけだが,そこで,軍人一家だった実家橘家の兄弟は,そのほとんどが失職を余儀なくされてしまう。しかし,軍人とはなんの関係の無い,作家稼業だった橘外男さんだけは,失職とはそもそも無縁で,ちょうど勝ち残ってしまう形に成ってしまった。戦前までは,屈託を余儀なくされていたのだが,それが打って変わって,”頼りにされる”存在になってしまったみたいなんですよね。その辺の経緯もこれら自伝的作品に詳しいです。本人も,これには報われた思いが,かなりみなぎったらしくて,このときの言い知れぬ解放感が,晩年の自伝的作品「わたしは前科者である」「ある小説家の思い出」を書かしむる動機になったのかなと思います。
そんな,それらさまざまな,波乱の過去を,静謐に,思い起こす契機として,この「アニー・ローリー」の,ゆったりしたメロディが,橘さんの頭の中では,何度もリフレインしていたのではなかろうか,と思われてなりませんわけです。んなことぼんやり考えながら聴いてたわけです。
というわけで,このSP盤にまつわるひとりごとは終わりです。

*1:むかし読んだ本なので,いま手元に無い。もしかしたら同トーンの自伝的小説「私は前科者である」と記憶違いしているかもしれないが,いまは確かめようが無いです。うう。