昨夜(10月22日は)、

”昭和の暮らし博物館*1”にて、「お琴演奏会−いまの音色、むかしの音色」を鑑賞。
会場は20名くらい。ご近所の顔ぶれと思しき方々が大半のようで、そのせいか、なんともほのぼの和気藹々としたムード。演奏者は縁側奥の畳敷きの広間にすわり。観客はお庭の縁台に腰掛ける。
琴演奏の前に、演奏者による、昔の琴と、今の琴との比較論拝聴。
昔とくらべて、現代の琴演奏というのは、ピアニスティックなまでに厳密な音階厳守に縛られている傾向にあること。そして、弦もきつめに張られる傾向にあるので、その響きも、なにかしら機械的な、きんきんしたものになっているとのこと。そして、そうして演奏された音楽が、いわゆる西洋式の音楽教育を受けてきた、自分たち現代人の耳にも、ごく自然に受け入れられている傾向にあるということ。
しかしながら、昔の、琴の音色というのは、音階そのものは厳密に縛られているものではなく、また演奏する人それぞれで持っている音階が異なっているのがあたりまえで、そしてそれが、”個性”として受け入れられていた、ということ*2。また弦もゆるめに張られているので、音色に”含み”を持たせることもできたとのこと。要するに、昔の、伝統的な琴の音色というのは、もっともっとファジーな要素を含んでいた、ということなのだということだろうか。
西洋式な音楽教育が普及する一方で、失ってしまった音色も多いのではないか。伝統的な音楽を末永く守っていく上では、これでいいのだろうか、と警鐘的な意味合いを含んだ話だったように思った。
そういった琴に関する面白い話を交えつつ、古い琴による生演奏を10曲くらい拝聴。どの曲もおもしろく、退屈を感じない2時間半だったように思いました。また、琴のつつましい音色が、昭和の暮らし博物館の渋い家屋とも、しっくりマッチしているようにも感じました。会場で配られた”菊酒*3”を飲みながら適度なほろ酔い加減で聴いたのも良かったのかもしれません。もしかしたら、伝統的な琴演奏というのは、大ホール等で聴くのには向かないものなのかも。少人数による和気藹々としたコミュニケーションを交えながら鑑賞するのに向いているのかな、ともふと思ったりもしました。
会場では、信楽さん*4と、Bee-yan'gさん*5とも、ひさびさにご対面。信楽さんとは2月の某オフ会以来。Bee-yan'gさんとは7月末の恵庭以来*6です。演奏会終了後、蒲田のラーメン屋で夕食。タンタン麺と餃子に舌鼓を打ちながら、会話弾む弾む。音楽がとりもつ縁まことに麗しきものです。楽しい夕べでございました。

*1:http://www.digitalium.co.jp/showa/

*2:また、そもそも伝統的な琴の楽譜というのも、いまのように”音階を指定した”五線譜ではなくて、1弦、2弦、3弦、・・・という風に、音楽の展開に従って”爪弾くべき弦を”指定して羅列したものであって、そもそも音階を指定しているものではないとのこと。資料として琴の楽譜のコピーも配布された。

*3:きくざけ。おちょこに注がれた日本酒に、菊の花びらを千切って浮かべる。菊の香りが日本酒に程よくうつってくれて、いい味わいをかもし出してくれます。

*4:http://junzos.hp.infoseek.co.jp/

*5:http://www.sound78rpm.jp/

*6:http://d.hatena.ne.jp/saitohswebpage/20050730