本日の読書

上海ブギウギ1945―服部良一の冒険「上海ブギウギ1945−服部良一の冒険−」(上田賢一著音楽之友社)。服部氏の,その華やかで活力みなぎる音楽ライフはまことに羨ましい限りです。それと昭和初期の音楽文化の発信地としての大阪と上海についての記述も興味深い。
通読して印象に強く残ったのは,本書末尾の方でクローズアップされて記述されている,上海での音楽仲間,黎錦光についての記述でせうか。戦時中は,服部氏と共に,さまざまなモダンな音楽活動をしていて,「夜来香」*1のような名曲も作ったりしていたわけだが,しかし,大戦後,かの中国共産党による政治の時代になると,そこではジャズ音楽は”敵性”とみなされ制限され,屈託を余儀なくされる,そしてそれはかの文革の時まで続いたわけだが,この辺の記述あまりにも気の毒で読んでて辛くなってくる。
戦争に負けた日本が,音楽文化的にはまだしも自由さを失わなかったのに比して,しかし戦争に勝った中国が,逆に文化的な制約制限統制を余儀なくされていたという歴史の悲惨な皮肉はいったいなんなんだろう。この時期,上海ではどれだけ多くのバンドマンが自己実現の機を失ったことだろう。それを思うとなにか切なくて,鎮魂の思いで本書を読まざるを得ませんです。
しかし,いきなり話は転じて,服部氏がその後期に歌謡曲活動から離れて残したという交響詩曲「ぐんま」(71年),交声曲「大阪カンタータ」(74年),交響詩「マウント富士」(78年),グランドワルツ「グリーン利根」(81年),交響詩「赤城賛歌」(83年)とかって,どういう曲なんだろ。”日本のガーシュイン”を意識して作曲活動していたという彼が,その後期に行き着いた境地ってどんなんだったかのも気になってきまそた。・・・でも,表題からすると,なにか,そういう純音楽的な作曲動機によるものとかではなくて,その土地からの委嘱による作品ぽいでふね。だけどどこかで耳にする機もあればと思うのでここにメモしとこ。

*1:どうでもいいが,帯広市西10条南40丁目に,「夜来香」というまったく同名の中華料理屋がある。ラーメン美味しかったあるよ。